京都 なかひがし 2008
数年ぶりの京都は、「なかひがし」のお食事会。
お世話になっている方からお誘いいただいてから、長い間楽しみにしていたこの日でした。偶然というか、この日の1週間ほど前に、日本料理のカウンターのお店の本を読み期待が益々ふくれあがりました。インターネットで「なかひがし」で検索するといろいろな方のブログがでてきます。数々の写真とともに感激と感動の思いがつづってありますが、読めば読むほどわからなくなり期待は膨らみます。
読みかけの「カウンターから日本が見える・伊藤洋一著」を新幹線のなかで読み上げながら京都にむかった。ホテルに荷物を下ろし、少々余裕のある時間をりようして京都の街並みを楽しみながら今晩の会場へ向かった。
私たち4人の席を残して満席。カウンターの中に広がる厨房は素朴で質素で、かっこいい。
真ん中の朱色の台が炭火のコンロ。
二つの蓋がご飯のお釜。その奥が炙り、焼き用のコンロ。
お隣に出てきた料理にご主人が説明を添えている。目も耳も大きくそちらに傾く。メンバーが揃い、今宵の宴がはじまる。
「想像を超えるわよ。」という言葉をどのように受け止めたかは、自分自身でもわからないが、その言葉は、その通りとなった。
まず、よもぎの葉がしかれた器には、栗、ぎんなん、さんまのの燻製、きのこに地柿という秋を思わせるお皿から、いずれもうなってしまう。口にれて味をさがしそれぞれの素材の味がしっかりとしていて全体に調和がとれてる。ものすごい。
朱の椀は、白味噌の汁、次には、鰯のちまきと炙り落花生、鯉ののおつくりは、圧巻。
煮こごりに、シャーベットに、鯉の皮に、草花があしらわれている。醤油を添えてごちゃごちゃにかき混ぜて召し上がれとのこと。でも、ひとつひとつの味を楽しみたく、混ぜる前にそれぞれをちょっとづつ口にした。どれもこれも、しっかりした味わい。ほんの少し醤油を加えご主人の言うように混ぜて食べてみれば、なるほどとうなずく以外には、ない。青葉の小鉢、白焼き、ミョウガと見たことも聞いたこともないお皿に次々と感嘆し驚かされる。「どれもこれも塩味がない。」と思わせるほど素材の甘み、苦み、少々に渋みが主張していて調和がとれている。「どうやったら思いつくだろうか。」と思ってしまう。
黒い椀が運ばれて、「松茸のご飯です。蓋を開けないでください。」とご主人。
勝手に炊き込みご飯を想像していた私だが、蓋を開け広がる香りは、松茸の香り。
炊き込みご飯ではなく白いご飯。そっと一口食べてみると、ご飯の味といっしょに松茸がの風味が膨らむ。そしてしっかりした塩味が心地よく口に和む。
びっくりだ、まいった。
仕上げのご飯に香の物のがならび、気持ちを落ち着けながら今晩の器を思い起こしながらみんなで話が弾む。ゆっくりと味わいたいが手と口がぐんぐん動いてしまう。
デザートには、青ミカンのゼリーが青ミカンの皮にはいっている。バジルと豆腐のアイスクリームに果物が添えられていた。無粋な私は、このみかんの皮は、ゼリーをつくる時に皮を壊さないようにとるかな、どうやってこんなにきれいに皮を保存できるのかなどとつい考えてしまう。ほろ苦い青みかんのゼリーがいといろなものを休ませてくれて、最後にコーヒーがでる。不思議なコーヒーだった。多分、入れ立てではない。
今宵は、秋を一足先に満喫しました。
残念なことにそれぞれのお料理に風味や味を言葉では伝えられない。
全てが初体験であり、感動であり、驚きであった。私も食の職人のはしくれ、頭が下がると同時に感謝の気持ちが体中に充満しました。素晴らしい京都の一夜、ありがとうございます。200810.3