旅日記・訪問記

素敵なゴールドコースト。

お正月休みに、つかの間の夏休みを味わいにオーストラリア:ゴールドコーストに家族旅行にでかけた。私と息子は、本場の海でサーフィンをするのが楽しみだった。夏の青空が広がり、エメラルドグリーンに輝く海、どのお店の人も親切で、笑顔で溢れた素敵な街。ラムもおいしく、野菜も魚介類もおいしい。見つけてしまった、3メートル近くのロングボードをこの遠くよりどうやって運ぶかも考えずに、購入を決めて、そのボードでゴールドコーストの海を楽しんだ。

サーフィンを楽しんだ息子と私。

Coolangatta beach 

このブルーの大きなボードが素敵な物語をプレゼントしてくれた。

帰国の前日、海を上がるときに輸送用にしっかりとパッキングして、帰り道に空港に預けていけないか聞きに行った。

ジェットスターという格安航空会社の案内係の女性に尋ねた、

「明日の朝の便で東京に帰るのですが、このサーフボードを預かってくれるところは、ありませんか?」

案内係の方は、「空港内には、そのようなところは、ありません。明日の朝、弊社の便でおかえりですか?」

私は、「はい。明日の朝の東京成田行きです。」と応えた。

ご案内係の女性は、一瞬困った表情になり、

「機内に積載できるのは、2メートルまで。」

私のロングボードは、3メートル位ある。

私は、「載せて貰えないのですか?」と尋ねた。

案内係の方は、「はい、でも、ちょっとお待ち下さい。」

その日は、日曜日で郵便局も休みなので、送ることも出来ない。明日は、朝早いので郵便局が開く前に、空港に来なくてはならない。日本に持って行けないのかな?と思った。女性は、トランシーバーでなにやら話している。

話が終わったら。

「ときどき、このくらいの大きさのものを収納できるスペースが空いているときがある。そこを確保できるか、確認中だからお待ち下さい。」不安が期待になり、頼みの綱はこれのみだった。奥から、案内係の方の上司のような方が出てきて、いろいろと2人で確認している。上司の方が、トランシーバーで厳しい表情でどこかと何かを話している。その表情が一瞬笑顔になり、「確保して。」と大きな声でトランシーバーの会話が終わった。その瞬間、案内係の方も大きな笑顔になった。「このサーフボードを収納できるスペースを確保しました。明日、ご搭乗の際におもちください。」と溢れるような笑顔で伝えてくれた。「ありがとう」の連発の私は、安堵感とうれしさで、彼女の名前を伺うのを忘れて車に戻り、ホテルに大きなボードを持ち帰った。夕食を済ませ、荷物をまとめて、最後のゴールドコーストを楽しみにまた、街に出た。

翌朝、大きなタクシーを頼み、ボードを積んで空港へ向かった。

昨日のご案内係の彼女の名前を聞いていなかったことを少々不安におもっていた。

空港について、チェックインカウンターへ向かったら、長蛇の列。

辺りの昨日のご案内係の彼女は、いない。

行列に並び、順番を待った。1時間ほど並んで順番が近づいてきた。

彼女は、チェックインカウンターで、チェックイン業務をしていた。

一安心した。自分たちが、彼女に当たればいいなぁ、と思いながら待っていた。彼女は、忙しそうに次々をチェックイン処理を裁いている。残念ながら別のカウンターに呼ばれた。私たちの担当の人が、処理を進めていると、彼女が、私たちの担当の人に向かって、大きな声で叫んだ。「サーフボード場所は確保してるから、、、。」彼女は、私たちに気がついてくれた。「素晴らしい」お陰様で、私のボードには、「積載スペース確保:左上のフリースペースに収納」と手書きのカードが付けられた。3人で、大きな預けるバッグが2つ、もう一つは、私のロングボードになり、追加料金も取られなかった。彼女のおかげである。私たちのチェックインが済んだときには、彼女の姿がなかった。私たちは、予約席のあるロングボードをもって、規格外荷物の受け付けカウンターへ行ってもスムーズに受け取って貰えた。飛行機は、3時間程度遅れると案内がでていたので、空港近所の海辺まで遊びに行って最後のゴールドコーストを散歩して空港に戻った。結局更に1時間遅れて、4時間遅れで、搭乗ゲートに向かった。

そして、その搭乗ゲートで、チケットの半券確認をしているのがご案内係だったあの彼女だった。私たちは、御礼が言いたくて、彼女の列にならんだ。

「昨日は、ありがとう。さっきもありがとう。お陰で無事にボードを載せて貰えることになった。本当にありがとう。」

「彼女は、嬉しそうに、とんでもないです。また、ゴールドコーストへ遊びにおいで下さい。お気を付けてお帰り下さい。飛行機が遅れて申し訳ございません。また、会える日を楽しみにしています。」と私たちも見送ってくれた。

素敵な旅の思いでは、いろいろな形があるが、旅先で親切にして抱くとのありがたさとうれしさは、格別です。東京に来ている観光客の方々へ、お仕事の方々へも、外国の方でも、日本の地方の方でも、彼女からいただいた感動をお返ししたいと思います。必ず、再び、いつの日か、ゴールドコーストを尋ねるでしょう。等々最後まで、彼女の名前を聞き損ねてしまった。 ありがとう。

琵琶湖畔燻製教室

琵琶湖北西の高島市新旭水鳥観察センター にて、燻製教室を開くということで、講師として招かれ行ってきました。

ここは、私が以前より訪ねてみたいと思っていたところなので、とても、楽しみでした。

このようなお誘いを頂かなければ訪ねることが出来なかったかもしれないところです。


魚の燻製は、とても時間がかかるものでしたが、強行スケジュールのなか皆様の協力の元スタートしました。

 

魚の燻製は、低温でじっくりと時間をかけなくてはならないので、仕込み含めて3日間は、かかります。燻製教室は、1日ですので、事前の仕込みを地元の鮒寿司の職人さんのお力を借りることになりました。

事前処理と塩漬けのレシピーを送りお願い致しました。

 

お願いしたレシピー

 

前日の夜、現地に入り、主催者、協力のみなさん、事前処理をしていただいた職人さん方とバーベキューパーティで盛り上がり、その晩は、関係者のログハウスに泊めていただき、翌朝早めに会場に入りました。

 

泊めていただいたログハウス

 

10時半スタートにもかかわらず、10時前より参加メンバー集まりはじめ、準備をしている私たちのお手伝いなどをしていただいているうちに、和が溶け始めました。

 

通常は、10時間ほどを要する魚の冷燻を4時間ほどでなんとか形にします。

かなり忙しいスケジュールでしたが、参加者の方々のご理解もいただきながら、楽しく順調に進んでいきました。

 

びわマスの燻製づくりスタート

 

びわマスの方は、なんとか、燻製のように色づきはじめたころに、試食タイムとなりオーブンで軽く焼き上げて試食いたしました。

びわマスの燻製は、素材の良さも手伝い爽やかな風味に仕上がりました。

 

乾燥が足らなかった鮎は、センターの方に燻煙を引き継ぎ翌日には、おいしい燻製になっていることでしょう。

 

画期的な乾燥方法、乾燥不足の鮎を扇風機で風をあてて乾かしています。

 

また、来年も開催したいとの声をいただきました。来年は、鹿の燻製のようです。

今から楽しみです。

 

高島市新旭水鳥観察センター、とても、素敵なところです。お近くへお出掛けの際は、是非お立ち寄り下さい。ここのカフェのお料理やコーヒーもとてもおいしいです。

 


ここでは、みなさん自分でカヌーをつくって楽しんでいるようです。

冬のバルセロナ

3度目のスペインは、バルセロナ。東京の冬に比べるとかなり暖かい。

空港から電車に乗り予約をしているホテルの最寄りの駅で下車して地上にあがってみるといきなり目に飛び込んできたのがガウディの建物、2階の窓がかわいいカザ・バトリョである。

ホテルまで歩いていると再び大きなガウディの建物(カザ・ミラ)が近づいてきた。

スペインの東側海岸に接する、スペイン第2都市の食文化は、海の幸と山の幸のが豊富に混在している。市内のあちらこちらに市場がある。なかでもひときわ大きいサンジョセップ市場の大晦日を覗くことができた。
 

東京の築地、アメ横を思わせるような賑わいだ。ただ、朝から市場内のカフェは、常に満席なのは、日本ではあまり観ることは、できない。観光客も多いらしくカメラを片手に歩く姿もよく観られた。入ると正面にフルーツショップが店を構える。カラフルなフルーツジュースが、並んでいる。まずは、右側から観ることにした。ハム屋、肉屋、チーズ屋が軒を連ねる。日本では、観ることのできない子豚の丸焼き用も多数売られている。もちろん、ハモンセラーノ、ハモンイベリコが所狭しと吊されている。牛肉、豚肉、ラム肉、鶏肉とそれぞれが専門店で売られている、またそれぞれのお店に高品質を揃えているところと、低価格の商品を集めているところがある。並んでいる肉を見るとすぐに分かる。内臓専門店では、きれいに処理それた内臓類が並べられている。また、日本で言うジビエのようなものを扱っているショップも少数だがあった。兎や鴨、鹿などが、皮付き毛付きのまま陳列されていた。現在では、ほとんどみられなくなったこの様子だが、まだ根強く残っているようで少々嬉しさを覚えた。

 私がはじめてスペインを訪ねたのは、今から24年前。駅の近くの安宿に荷物を放り込み急いでバルにでかけた。狭いバルが軒を連ねていて各お店の入り口は、ショーケースがあって、それぞれお店の個性をアピールしていた。そのバルのショーケースに兎や鴨が毛皮付きのまま吊されていていたのが衝撃的だったのをいまでもよく覚えている。

肉関係のお店が半分近くのスペースを埋めている。市場の中でもひときは元気なのが鮮魚店。港町のバルセロナ、鮮魚は、生きがいい。どれもみずみずしく、新鮮だ。元気な女性達がお店を切り盛りしている鮮魚店がよく売れていた。

他には、野菜屋さん、軒から唐辛子やニンニクが吊されている。他には、ワインショップ、卵屋さん、オリーブショップ、スパイス専門店、おもしろいのは、玉葱屋さん玉葱しか売っていない。チョコレートショップ、お菓子屋さん、などなどなど。

カフェは、混雑を増すばかりなので、チーズとオリーブを少しづつとビールを買って、市場の片隅に積んである段ボール箱をテーブル代わりにして朝の市場を楽しんだ。

市場を出て足を海の方へ進めた。コロンブスの塔が迎えてくれてヨットハーバーに着いた。きれいな青空と澄んだ青い海が、冬の海とは思えぬほど青くて眩しい。ハーバーの脇の橋を渡っていると踏切の遮断機の様な音がして、柵がたてられ通行止めになると、目の前の橋の切れ目から、橋の一部がゆっくり回り始めて、ハーバーから海に出る船の通り道をつくっていた。

ヨットハーバーを通り過ぎ、防波堤の裏側の砂浜まで足を進める途中、きれいなテラスにテーブルを並べた素敵なシーフードレストランが並んでいた。私たちは、その隙間の路地を入り、裏側の浜へ抜けて、旨そうなレストランを探した。素敵とは、言いにくいレストランだが、素敵なおじさん達が忙しくしているレストランを見つけて入ってみた。魚介類のスープと魚介類のパエリアとネグロ(イカスミ)のパエリアを頼んだ、歩き疲れお腹もかなりペコペコガツンと喰いたい。という想いの注文である。魚介類のスープは、奇声をあげるほどのおいしさ。魚介類のパエリアは、サフランもトマトもしっかりとした流石の旨さ。ネグロは、期待とおりであっという間に平らげてしまった。きれいな地中海を後にしてガウディ作のグエル公園、サグラダ・ファミリア聖堂と見物にむかった。

後日、ピカソ美術館を訪ねたが、行列の長さに諦めて、ミロ美術館を訪ねた。学生の頃より好きだったので、東京で幾度か開かれたミロ展には、足を運んだ。ミロの作品をここバルセロナでみれるのは、うれしかった。

バルセロナを楽しんで、バレンシアへ、特急で3時間、地中海沿いをはしる電車の旅の景色はきわめて快適であった。

オレンジで有名なバレンシアは、スペイン国内第3とも、第4番目とも言われるだけあって大きな港町である。旧市街地内を見物するなら1日かけてゆっくり散策すればほぼ見てまわれる。市内全域となると大変な話になってしまう。オレンジ有名なバレンシアは、パエリアの発祥の地。早速昼食から、バレンシア攻撃に入る。まずは、ムール貝のワイン蒸し、地元の漁港であがるので見事だ、大粒で味が濃く旨い貝が大きなお皿に山盛りででてきた。もちろん、ミディアムレアでプリプリだ。サラダは、オリーブにアンチョビに香草にいろいろな生野菜にバルサミコとオリーブオイルと塩と黒胡椒のサラダ、ご自慢のバルサミコが野菜の苦みや旨みを引き立てる。

そして、今日のランチのメインも、パエリアだ、漁港町だからもちろん、シーフード。サフランとトマトの出汁が旨い、ご飯の炊き具合も素晴らしいアルデンテ、大きなエビに、アサリ、ムール貝、イカなどプリプリシーフードは、どれもおいしい。今回のスペイン旅行では、地中海沿い旅行と言うこともあって、パエリアをよく食べた。サフラン風味もイカスミ風味もいろいろなお店で食べた。どのパエリアもとてもおいしかった。トマト出汁、シ魚介類の出汁、魚の出汁、チキンの出汁、サフラン風味は、この出汁の味がストレートに出るので、出汁の違いを楽しむのもおもしろい。でも、イカスミの場合は、イカスミが利いているので出汁の風味が隠し味の役目をする。そのなかでも、トマトと魚介類の出汁を使ったイカスミのパエリアは、感動的においしかった。バルセロナの海岸沿いの地味なレストランだった。

 

陽気なスペイン旅行の最後の晩は、友人との夕食&ワイン、バルセロナの真ん中の広場に面するカフェで、タパスにワインにビールにと夜中まで語り明かした。

翌朝、オランダ行きの飛行機でアムステルダムへ向かう。自分でも以外だが、アムステルダムははじめて、楽しみな寄り道だ。

バルセロナから飛行機時間2時間半とユーロ内フライトとしては、わりと長い距離を飛ぶと、真冬のアムステルダムが迎えてくれた。

街を歩いている人たちの姿は、まるで、スキーにでも来たかな?と思ってしまうような服装が多い。

それでも、運河の街は、まだ氷付かず、北の厳冬の直前のようだった。かわいい町並みと運河と自転車、ハイネケンの地元は、ビールも旨い。トラム(路面電車)を乗りながら街を散策している間に帰国の日がやってきた。

こんどは、少し暖かいときに訪ねたい。


パリ

今回の私的ヨーロッパ視察旅行は、パリとミュンヘン。いずれも幾度も訪ねている街ですが、いつもいつも再発見のある街です。今回は、同業の友人の嶋崎君が同行して2人での旅になりました。

彼は、初めてのパリに期待を膨らませているようです。

今回の旅行予定は、まずパリに3泊、日曜日に移動してミュンヘンに3泊。パリでは、ランジスのヨーロッパ最大級の卸市場を見学、フランスの都会のハムそーセージと総菜を視察&試食。ミュンヘンでは、スパイスその他の消耗品の仕入れと道具屋さんとお話、そして最近のミュンヘンのソーセージ状況を視察します。

昼過ぎのエアフランスで12時間少々の飛行時間でパリに入りそのままホテルへ直行、ホテルで一息ついて夕食を兼ねて散歩に出かけました。地下鉄で凱旋門のあたりまで行きシャンゼリゼ通りアタリを散歩して軽い夕食をとり、30分ほど歩きながらホテルに戻る帰り道、エッフェル塔が暗い夜空のなかブルーのイルミネーションで浮き上がっている姿は、流石パリ。

明日は、早起きして小1時間ほど離れたランジスの市場へ出かけます。

二日目の朝、早朝起床。今回の渡欧の大きな目的のひとつ、ランジスrungisの市場に出かける。ランジスは、ヨーロッパ最大級の卸市場、ヨーロッパ中からいろいろな食材があつまるところ、ここの肉市場は、圧巻である。20数年前に人に連れられていったことがその風景に圧倒されたのを今でもよく覚えている。

早朝暗いうちから車でランジスに向かった。運転手さんがよく分かっていなくて不運にも隣の倉庫街でおろされてしまった。昔、一度来たことはあっても、広大な敷地の中なにがなんだかさっぱり分からない。同行したシマちゃんと雨のなかてくてく歩いて探した。ランジスを見つけその敷地内に入ってから肉市場の棟を見つけるのが大変、手前にあった魚市場に入ってみると市は既に終わった様子。

訪ねながら、肉やハムソーセージの建物を聞きながらうろうろと歩いた。チーズの市場、ハムソーセージの市場を散策しながら肉の市場を探した。途中仲買街で足を止めていろいろと見ているうちに夢中になり時間がどんどん過ぎていったおのにも気づかずに夢中で見学をしていた。

アタリは明るくなり市場全体が本日終了に近づいていた。大きな仲買さんのお店を見学して聞いた応えが、「肉の市は、もう終わったよ。」残念ながら今回は、肉の市場は、諦めた。でも、随分とあちらこちらでいろいろなヨーロッパの食肉流通を見ることができた。

足もくたくたになり、寒さも身にしみて構内のカフェで朝食をとることにした。市場のスタッフや荷物を運んできた運転手さん、仕入れに来た人たちで店内は、混んでいた。パテとオムレツとサラミなどで朝食をしながら今日のパリの見学ルートを確認した。

朝、9時頃ランジスを出て、パリに引き返し、シャルキュトリ(ハムソーセージの意味;フランス語)のショップをみて回った。パリ最大のデパート・ギャラリーラファイエットの食品コーナーは、素晴らしい商品群と素晴らしい陳列にお客さんで大盛況。リエットとパテを購入して食べながら歩いて次のショップへ。


昔市場があったアタリに残る老舗のシャルキュトリショップ。パテの丁寧なつくり方に目を奪われいろいろと食べてみたくなるが、いっしょにパンもワインもあれば、と思い、ここの商品をどこかのカフェで 食べられか訪ねると隣でカフェもやっている。とのこと。早速、シャルキュトリの盛り合わせとエスカルゴとワインを注文、小振りなプレートに山盛りにでてきた。


どれこれも、丁寧な味わいで深く感動しつつもむしゃむしゃと食べてしまった。旨いものを食べ始めると「旨い」と言うのも忘れて食べ尽くしてしまう。今回のパリの目的は、パテとテリーヌ、数多くの種類のパテを見て食べたい。その後、日本でも有名なフォション、レアールのショップを見てバスク地方の加工品をつくってるショップでは、珍しい豚肉のコンフィの缶詰を購入し、サンドイッチショップ、パン屋さんと歩を進めた、流石に夜明け前から歩き続け足も悲鳴を上げ始めた。肩にしょってる荷物も重くのしかかり夕食前にホテルに戻ることにした。食べ続けた1日、夕食をとるスペースがお腹にない。ワインとビールで身体を休め翌日に備えた。明日は、パリの台所の朝市にから始まる。雨が止んでくれることを祈りながら、おやすみなさい。
 
3日目の朝、未だ薄暗いうちから起きだし出かける支度、窓の外は雨。
パリでも大きい朝市にでかける、その後は、セーヌ川南側のシャルキュトリショップを回り、ボンマルシェ(世界最古のデパート)を見る。

地下鉄に乗り、市が立つ最寄りの駅まで移動、外に出てもやはり雨。

土曜日の雨の朝は、人気もなく寂しいホントにこの近所で朝市をやっているのだろうかと思ってしまうほど。この朝市は、市場の前の通りと広場で展開される。(Marche d Aligre)

市場の建物が見えたときに思い出した。ここの市場は、昔昔二十数年まえにもいちど来たことがある。そのときが、どんな状況だったかは、思い出せないがまだ、ヨーロッパの市場にも慣れていない頃だから今とは、別の視点で興奮していたのだろう。

古い建物のわりに明るい市場内は、外の閑散さに比べてかなり賑やかに感じる。

肉屋、魚屋、八百屋にチーズショップにワインショップ、パスタショップにお花屋さんと軒を連ねる。ゆっくりと歩き始めると肉屋で最近あまり見かけなくなった陳列をしている。兎や鳥が毛付き羽付きのまま店頭に並んでいる。

肉屋さん うさぎやいのししがぶるさがっている。

生パスタ屋さん

日本ではあり得ない光景だが、ヨーロッパでは、10年位前までは、当たり前にあちらこちらで見られた。中国の大都会では、今でも見られる。

チーズショップは、流石にフランス、山羊のものが多く眺めているだけで食べたくなる。昼食には、「チーズの盛り合わせを食べよう。」なんて思ってしまう。

外にでると通りの両サイドにぎっしりとテントが並び野菜やチキンのロースト、チーズ、肉、魚が売られている。1週間以上雨だ続いているフランス北部、やや野菜の色に元気が足りないようだ。

あいにくの雨で外の市は、人気もまばら

駅への帰り道、同行しているシマちゃんが、素敵なパン屋を発見、覗いてみると奥深い店のつくりになっている、手前は調理パン、中程は、ケーキ類、そして奥にはパン。存在感のあるクロワッサン・バッケットを見ていると職人さんの努力と姿勢が伺える。店を出る前にクロックムッシュをひとつ買って外へ出た、温かいサンドイッチは、チーズがとろけて湯気を噴き出す。寒さに身体が冷えてる僕たちには、うれしい。半分に分けて店頭の脇で最初の朝ご飯。

次に向かうシャルキュトリショップ(Gilles Verot)は、神戸でハムソーセージ店を開いている友人、楠田氏の紹介。「是非行ってください。いいお店です。」彼も数週間前まで、奥さんと二人で勉強のためにお手伝いにお邪魔していたとのこと。

地下鉄の駅から上がると大きな交差点。その角に目指すお店はあった。

決して大きいお店ではないが、お店全体をガラス張りの中は素敵なショーケースが展開されている。素朴でもしっかりしたその商品達は、頼もしささえ感じる。

店内の両側にケースを配し、右側が総菜、左側がパテ、ソーセージ、ハムが並んでいる。どれも、これも食べてみたいものばかりだ、二人で4・5種類ほどの品を選んで購入した。気持ちよく買い物をして、店の外へ出た。店頭の横で2度目の朝食、パテ、ソーセージなど全てを半分に分けて食べた。

Gilles Verotのパテ、他の物はうっかり食べてしまった。スイマセン。

どれもこれも素直な風味と味。見たとおりのしっかりした出来具合に同業として感動と共感を覚えた。奇抜な味はない、どれもこれも見たとおりの期待に応えてくれるしっかりした商品。僕たち同業の二人は、この商品が評判通りであることをいろいろな角度から確認しあいながら、いただいた。

雨の中、ボンマルシェへ足を進めた。

世界最古のデパート、オープンの時は、角の狭いドアからお客様がものすごい勢いで入り、店内の広い空間に夢を見るようなまなざしや微笑みでオープンしたらしいよ。

となにかの本で読んだ話をしながらそのドアから入った。まずは、食品売り場。

ギャラリーラファイエットの様な派手さがないが、ひとつひとつ選ばれた商品であることがよくわかる。店内のあちらこちらを眺めながら随分とこのデパートで長居をしてしまった。気持ちの良いお店を後にした。

カフェで疲れを癒し、ホテルの近所のお店を見てから、ホテルに戻り重くなったバッグを部屋に置いてから夕食に出ようということになった。

ホテルの近所のお店は、パンチェッタ(生ベーコン)が自慢のお店(Chorcuterie Mas)である、とても楽しみにしていたお店でしたが、なんとお休み、定休日は、日曜日となっていたが、なんの都合かお店のシャッターは、降りていた。誠に残念であるが、仕方ない。

これも、縁だと思い、今回は、諦めた。

夕食は、凱旋門を挟んでシャンゼリゼ通りの反対側の道をずんずん入ったアタリにあるはずのお店を目指した。鶏肉料理がおいしいと紹介されているお店に行ったが、ない。何度か往復しながら探したがそのお店はなかった。歩いてる道の先へすすみながら適当なお店を探すことにした。

狭い通りを抜けると大きな通りと合流し少し歩いたところに、大きな素敵なお店を発見、中を覗くと大勢のお客さんで賑わっている、おいしいお店だろうと入り口前のメニューでどんなものを食べられるのかを確認するとステーキと鴨料理の店らしい、お腹もすいて、肉が食べたい僕たちは、この店に入った、満席近くに見えたが2階にも客席があり通してもらった。サーモンの前菜、サラダ、ステーキとチーズの盛り合わせとデザートにブリュを注文した。

どれもこれもあっという間に平らげるとお腹はパンパン。二人で大きな声で談笑しながら暗い細い坂道を凱旋門下の駅まで歩き、ホテルに戻った。

4日目の朝、パリ最終日やっと青空が見えた。

パリの青空は、今回初めて。

今日は、日曜日ほとんどのお店がお休み。今日の予定はBIOの朝市を2つ見てから昼食をとってミュンヘンへ移動。まずは、ホテルに近いBIO市ラスパイユ・ビオ(Raspil Bio)へ向かう地下鉄の駅を上るといきなり市のど真ん中へ出る、なぜか日本人の姿を多く見かける。お綺麗な野菜、綺麗なチーズ、オリーブ石けん、いろいろな穀物のお店、通常の朝市とはお店の気配が違う。オーガニック認定マークのグリーンのABがあちらこちらに見られる。今日の最初の朝食は、この市。

あさ、取れたての保存料などで洗浄されてない魚を販売。だから、おいしい。

珍しい野菜、綺麗な野菜を眺めてると、

きれいな野菜たち。

おいしそうなパンのお店を発見、まずは、パンをひとつづつ購入。

おいしいパンでした。

フランスのオーガニック市場でラムを買って食べたら「今まで食べていたラムは、なんだったのだろうか」というほど美味しかった。と旨い物先生の加藤さんが深く語っていたのを思い出したが、調理施設のない僕たちは、諦め気味。
 
ローストチキン丸焼きを焼いているお店がもも肉のローストチキンを売っていたので1本づつ、もちろん鶏肉もビオクオリティ。

オニオンのお焼きみたいのや焼きソーセージなどBIOの朝食。ローストチキンは、かなり焼きすぎかなり残念だったが、余計な味がしないチキンは、味があった。お土産にオリーブオイル石鹸を購入して次のBIO市に移動。(Marche Biologique des Batignolles)

オリーブオイル石鹸やボディコンディショナー、シャンプーなどが売られていた。朝市ではとても珍しい。


地下鉄を乗り換えてバイニョール駅。資料をもとにいろいろと探し回ったがそれらしい様子が全くない。人に尋ねて見るとそれは、土曜日に開かれるとのこと。今日は日曜日。残念ながら資料に手違いがあったようだ。ガイド本もそうだがよくある話。こんなこともある。

気を取り直してシャンゼリゼでランチ。赤いテントの外のテラスでオニオンスープに、ムール貝のグリル、鴨のソテーをいただいた。

念願、かなって「高野山」へ行ってきました。

世界遺産にも認められた和歌山県の高野山です。

ぐるめくにひろで、欠かせないものに、和歌山から取り寄せている物が、2つあります。

いずれも、十数年使っているものです。また、いずれも、空海にまつわる物です。

その一つは、水。「月のしずく」という名の水です。

大変、抗酸化力が強い水です。飲料出来る温泉です。おいしく、身体にもよく、特に二日酔いのときの効果は、頼りがいがあります。ぐるめくにひろでは、肉の熟成においてこの水が大活躍です。

空海の伝説のなかに、後世、人々を救う水があると言われた地の水です。

もう一つは、炭。

ぐるめくにひろでは、紀州備長炭を炭火のベーコン、ロースハムに使用しています。

十年前に、和歌山県南部の炭窯を訪ねたときに、紀州備長炭の焼き方は、

「空海から備中屋長左ェ門が教わって商った。」と聞きました。

私のハム、ソーセージの製造方法に大きな影響を与えてくれたこの水と炭に関わる空海の里を訪ねました。

大阪なんばから、特急で高野山の入り口まで行き、そこからケーブルカーにのって、更にバスに乗って高野山に入りました。

高野山という山は、ありません。標高1000メートル程の8つの山に囲まれたところを高野山と呼びます。

「蓮の花を広げたような地形」とよばれ仏教の修行には、良い場所のようです。空海が、奈良時代から平安時代にかけて、真言宗を開いところ、というだけあって、日本仏教の総本山 金剛峯寺があり、117のお寺があるそうです。なるほど、狭い街並みは、ほとんどお寺、立派なお寺が軒を連ねているという風景です。人工4000人のうち、1000人位は、お坊さん。まさに仏教の町です。

バスに乗り「奥の院」空海の御廟のほか、皇室、公家、大名のお墓が並びます。金剛峯寺などを散策してきました。仏教に無学なわたしですが、日頃、お世話になっている水と炭にまつわる方に触れることができてなにかすっきりしました。

「とにかくヨーロッパへ行こう。」からはじまった。

とにかく、ヨーロッパを体験しよう。

とみんなで、行くことになった。

格安航空券を探して、宿は、直接頼んで、食事は、みんなで割り勘。

現地では、自由行動。団体行動も個人行動も全部自由。

移動は、電車のスタンダードと徒歩。とにかく、ヨーロッパ体感。

1月1日、朝7時に成田空港集合。9時過ぎのAirFranceでパリ経由でローマへ。

ぐるめくにひろのスタッフとその彼氏などみんなでヨーロッパを見に行く。

スタッフたちは、みなヨーロッパは初めて。

パリでの忙しい乗り換えをして、無事ローマの空港から電車で市街地に入る。

ベースキャンプのホテルは、ローマ市街の大きな駅(テルミナ駅)の近所。

今晩はみんなで打ち上げ。

ホテルで、近所のおいしいピッツェリアをおしえてもらって、みんなで即行。

新年と楽しい旅に乾杯!旨いモノ好きの私たち一行は、料理が間に合わないほど、無言でパクパク食べる。次の料理まで、おしゃべり満載。レストランの中を、周りで食事をしている人たちを、

お勘定の払い方とか、おしゃべりばかりしているレストランのスタッフとか、みんな初めて、めずらしいからキョロキョロしちゃう。

旨い、おいしいイタリアンを満腹にして、明日から自由行動。

みんなのヨーロッパ体験が楽しみだ。

2日目は、自由行動。ローマ市内散策。

時差ぼけもからんで、早朝5時頃から目が覚めて、市内観光のプランを立てた、飛行機と宿の手配をしてからこまかいプランをいっさい考えていなかった。

ホテルの手前から、ローマの遺跡と興味深いショップを手当たり次第見て廻る。

東京に比べれば小さいローマ。地下鉄を2・3回使えば、主なスポットは、1日で、がんばれるかもしれない。

今日の私との同行者は、妻と息子。家族3人。

朝食後、早々に出発。

まずは、地下鉄で「コロッセオ」へ、セキュリティチェックをうけて、チケットを購入して中に入った。20数年ぶりの「コロッセオ」前回が初めてだったが、前回とは、随分イメージが違う。

「コロッセオ」から出て「フェロロマーノ」(遺跡の公園)の中を歩いて反対側に向かった。今回のローマで、私が見たかったのは、この「フェロロマーノ」と「バチカン市国」と「メディチ家の別荘」だった。

遺跡の見事さと大きさに感動しながら、目を見張りながら、「真実の口」方面の出口へ向かった。(実は、この方向に出口があるかどうか知らなかったが、とりあえず歩いていたら、好都合なところに出口があった。)

出口のところに案内図があって数人の観光客が案内図を見て話していた。

私も、自分たちの居所を確認したくて、案内図に寄って見たが、ここがどこかわからない。案内図を見ている観光客たちに「ここは、どこ?」と訪ねたら、3人の観光客がそれぞれ別々の場所を指さした。だれも、自分の居場所がわからないようだ。

みんなで、大声でわらってしまった。「フェロロマーノ」は、そんなに広いのかもしれない。結局、どこにいるかわからぬまま歩き出して、道ごとに、地図と照らして居場所を確認しながら歩いた。自分たちの位置もはっきりして「真実の口」に到着。少々の列に並んで、お約束通り、手を入れて、記念撮影。

川沿いを歩いていたら、[FCローマ」ローマのサッカーチーのオフィシャルショップを発見。ガイド本にも載っていないこのショップの発見は、息子にとってかなりGOOD。その近所のかわいい雑貨屋さんを覗いて、「ナボーナ広場」で昼食。広場では、お祭りのような屋台がたくさん並んでいた。屋台や芸人さんたちのパフォーマンスを見ながら、カフェのテント内で昼食。

住宅街を歩いていたら、妻がジェラートショップを発見。高級そうなお菓子屋さんの奥に、大きな大きなジェラートケース。さっぱりした甘さに、フルーツの風味に、さわやかな口当たりに、「やったー!」と感激。

車が通れないような狭い石畳の住宅街をクネクネ歩いていると、「コロンナ広場」を横切ったこの先に「トレビの泉」。あまりにも有名な観光スポットには、驚くほどの人々、すごい混んでる。後ろ向きに立ってコインを投げて、願い事を唱えて、次に足を進めた、路地路地を楽しみながら散歩のように歩きながらショッピングとウィンドウショッピングを楽しんでいたら、人が増えてきたら「スペイン広場」に到着。やっぱり、映画のイメージよりは狭い階段広場をながめながら散策しながら、うろうろと歩く、途中、後ろから聞き慣れない音が近づいて来た。と思うと馬車だったり、イタリアのスポーツカー、フェラーリのオフィシャルショップに遭遇したり、目と心をあっちこっちに寄り道しながらポポロ広場へ。

川を渡って「バチカン市国のサンピエトロ大聖堂」。

昔ここでいろいろな感動を味わったのを今でもよく覚えている。

まず、ルネッサンス時代をお思わせる中庭を囲むように立ちならぶ石像。

見事な大聖堂。この大聖堂は、上から見ると十字架の形になっている。

お正月休みだけに観光客も多く、入り口のセキュリティチェックはかなりの列ができていた。(昔は、セキュリティチェックは、無かった。)大聖堂の中に入ると、その大きさに圧倒される。広く奥深くまでつづく床、あまりにも高い天井。どのような設計でこの建物が造られたのだろうかと答えの出ぬ想像を繰り返してしまう。彫刻された石を重ねてできているこの建造物の一つ一つの彫刻にため息が出る。大理石を削りだし、寄せ木細工のようにつくられた床は、古臭さを感じない洗練されたデザイン。建築様式、建造物、その歴史に知識を持たないわたしでも、このサンピエトロ大聖堂の大きな意味を感じずには、いられない。

大聖堂を出て右の通路から庭に出て行く途中に、衛兵がいる。彼らのブルーとオレンジのユニフォームのデザイナーは、なんとミケランジェロ。昔からのデザインが今でもそのまま使われている。日本では、とても考えられない。

日が沈むバチカン市国を後に、歩き疲れて、カフェで小休止。

この近所の商店街を歩きながらホテルに戻ることにした。

市場を発見。入ってみたが、夕方となった今、ほとんどのお店が閉店していた。

明日以降のチャンスに期待したい。

今日は、みんなでナポリへ。

朝7時に集合してセントラル駅へ、電車は7:25発でナポリ行きの特急があるのは、確認した。でも、チケットを買う場所がわからない。

市内の切符は売店で売っているので聞いてみると反対側にチケットセンターがあるとのこと。無事切符を買ってドリンクとサンドウィッチを買って特急に乗り込んだ。優雅なシートに6人ですわり気持ちよい電車の旅が始まった。ところに、検札。私たちのチケットはこの特急のものではなく、その前の急行ののものだったらしい、乗車券に匹敵するクライの特急料金を取られた。ものの快適な電車の旅は2時間弱。ナポリに到着。

なんとなく、港の方向へ歩き始めた。もちろんプランも下調べも無い。

テントの並ぶ路地を発見、そちらに足を向けると魚市場がならぶ、さすがは、漁港町、貝類にさかなに新鮮でおいしそうなものばかり、その後魚市場街は、自転車とおもちゃの市場街になった。歩き続けてると細い観光客向きの商店街を発見、ぶらぶらと歩きながら港へむかっていたつもりだが、自分たちのいる場所がわからなくなった。広場にでたところで現在位置と方向を確認してふたたび港へむかった。

大きなフェリーや客船の碇泊する大きな港に出た。でも、私たちが目指していた港とは少々趣がちがう。

目指すは、その昔ナポリ公国によってつくられた。海にでぱってつくられたお城。そして、ピザ発祥の地と言われる、トマトベースの魚介類のピザ。そして、ナポリタンとして伝わってきたスパゲティペスカトーレ。

港から海沿いを歩いて10数分、海岸線が南に面したとき眼下にまぶしいほどの大きな海が広がった。その先には、目指すお城も見えてきた。そのお城の右手には、サンタルチア通りものびいるはず、歩き疲れて、おなかをすき始めたみんなの顔にも笑顔が広がった。海岸線には、奇麗なリゾートホテルが陽光に照らされて並ぶ、海には、大きな船やヨットが水面をはしる。これぞ、ナポリ。

カリオストロの城を思わせるようなお城のなかを見物して、ストラン探し、

海の周りのレストランは、とても高そうでどのお店も準備中の様子。

足をサンタルチア通りに進めるとおいしそうな気配のレストランが並ぶ。「どのお店にするか。」鼻をきかせて探す。どのお店も準備中の様子。12時半ころ昼食には申し分無い時間であり、空腹状態である。その中でもワインレッドのテントのきれいなお店に目をつけた。煙をもうもうと出している。中に入ってみると、開店は1時からとのこと、十分少々散歩をして待つことにした。地元の人たちで混み合うスーパーやBARを覗きながら待った。1時の鐘が鳴りお店に向かう。

誰もいない、中に入って声をかける。返事がない、カウンターの奥ではピザの釜に火が入って釜の準備は万端のようだ。先ほどの煙はこの釜の薪が炭化する前の煙のようだ。なんども大きな声をかけてようやく店員が席に案内してくれた。

少し寒いけど、外のテラスの気持ちよい席に座った。メニューが配られ思い思いにみんながオーダーを入れる。ピザ、ペスカトーレとのご対面である。

ピザ発祥の地、ペスカトーレ発祥の地。期待がふくらむ。

ビールやワインを飲みながら、料理の登場を待った。

大きな3種類のピザが登場した。ペスカトーレもマルゲリータもクアトロフォルマッジョ(4種のチーズ)

どれも見るからにおいしそうである。日本でよく見かけるローラーのナイフは出てこない。それぞれのピザをフォークとナイフで切る。ピザの前に座っていた人が当番のように切る。3枚のピザが切り終わると「ヨーイドン」のようにいっぺんに数本の手が伸びる。「うまい。」「おいしーい。」と感激の声を上げながらあっという間に大きなピザ3枚がなくなった。

パスタのペスカトーレも、その他のパスタもサラダもあっという間にから皿になっていった。

なんとなく腹八部目きぶんだったが徐々にお腹が充満してくる。

デザートのオーダーを聴かれる頃には、おなかいっぱいでになっている。

それでも、2人3人がデザートを注文する。大きなお皿のデザートが届くとあちらこちらからまた手が伸びる。仕上げのコーヒーの入る隙間の無いほどお腹いっぱいになって店をでる。

来た道とは別の順路で散策しながら駅に向かう。途中何度か思惑と違うところに出て地図を確認しながら駅に到着。夕日に焼けた山が出迎えてくれた。

帰りは、特急に乗らず、切符の指示にしたがって急行にのった。

丁度、6人様の個室に収まり、お菓子やビールを手に手にローマまでの電車の旅を楽しんだ。

夜早めにローマに到着。駅に近いホテルだったので、荷物をおいて、再びみんなで夕食をとることにした。

近所のリストランテで、仔牛のカツに、オリーブのサラダに、白身魚のグリルに、パスタとピザ。

最初に頼んだ料理を全てたいらげてから、また、数皿追加。

食べて、歩いて飲んでいるばかりの私たちを再確認。

ドイツ視察旅行

1.アムステルダム経由にて出発

2年ぶりのドイツ。全国から集まったお肉屋さん、ハム屋さんの方々とオランダ・アムステルダム経由でミュンヘンに入る。

今回は、ミュンヘンのビール祭り「オクトーバーフェスト」とシュトットガルトの食肉展[SUFAA]にての研修。ドイツで食肉展といえば主にハムソーセージ関係の機械、道具、香辛料などの紹介と新しい技術や情報が発信される。

到着後は、ミュンヘン郊外シュタンベルグの食肉店Luts(ルッツ)にての研修が始まる。ルッツは、大きな食肉店で最近のドイツではめずらしく自家と殺から製造まで行っている古来の製造方法をまもりつつ新しい商品の開発から見せづくりまでを行っている。興味深いお店である。ルッツはいつ来ても衝撃的なお店でご主人との再会も楽しみである。1週間という短い期間のドイツだが、楽しみだ。


2.ミュンヘン

ミュンヘン郊外のメッツゲライ・ルッツ(Mezgerei:食肉、ハムソーセージ店)にて早朝暗くうちから見学。

この店は町の台所を守っているかのように、ハムソーセージ、生肉などの他にチーズ、サラダ、ワイン、ジュースにパスタなどの商品もそろえている。

前回にもこちらのルッツ食肉店で見学をさせていただいたが、相変わらず元気に的確な作業している。

すべての人たちが、みんなの作業をわかっていて無駄なく動いていて次々といろいろな商品が出来てくる。

このお店では、最近は総菜や、ランチボックスなどの需要も多く、サラダやサンドゥイッチの朝の仕込みの仕込みも忙しい。作業が終わると、朝7時から朝食をごちそうになった。シンケンブルスト、パプリカリヨナーにボンレスハムにケーゼなどいろいろなソーセージとパン、コーヒー、ミルク。ドイツの典型的な朝食である。

 

さらに、ミュンヘン市街地の反対側でもう1件メッツゲライウェイバー、視察、こちらは田舎町のお肉屋さんと言った感じでした。

自家と殺から製品づくりまでしている。ここでは、日本人からも1人修行に来ていた。

 

午後からは、ミュンヘン市内でダルマイヤー、パリのフォション、ミラノのペックに並ぶ

ミュンヘンきっての食肉総合食品店。市場に並ぶ食肉店を見学した後は、待ちに待ったオクトーバーフェストです。

 

会場に近づくとドイツの民族衣装に身をまとった人たちが嬉しそうに会場に吸い込まれていく。

会場に入ると広大な土地のなかにホフブロイハウス、ポールネール、レーベンブロイなどの各ビールメーカーの

数々の巨大なテントが立ち並ぶ、奥の方には移動遊園地大きな乗り物にと東京ディズニーランドを思わせるようだ。会場内を1週するだけでも楽しく過ごせます。

私たちはポールネールのテント、ミュンヘンでもポールネールは、美味しいメーカーのビールだ。

1年以上前に予約をしないととれないという予約席だが、ミュンヘンの知り合いがなんとか確保してくれた。

巨大なテントの真ん中には、大きな生バンドのステージが設けられて廻り中に所狭しと客席が並べられている、夕方の5時前、なのにほぼ満席。

あちらこちらのテーブルから「ブロースト、ブロースト・乾杯、乾杯」の声が響く。ビアシンケンに、シュバイネハクセに、バイスブルストにとバイエルンの肉料理がならぶ。

まずは、ビールで乾杯。ドイツのビールジョッキのレギュラーサイズは、1リットル。日本の生ビール中ジョッキは500ミリリットル。2倍の量である。ビール好きの私でも大きなジョッキを1杯をなかなか大変。

2杯目が飲み終わる頃には会場内もかなり盛り上がってきて椅子の上にたって踊り出すひとたちも出てきて知らない人たちと方をだきあって踊り出す。あっというまに夜もふけて9月28日のオクトーバーフェストは幕を下ろしていきます。


3.ミュンヘンからシュトットガルトヘ

メッツゲラィルッツとの名残惜しさを残しながら、一路シュトットガルトヘ向かいます。

本日の予定は、同行者のコンテストへのエントリーとスモークハウス工場見学。

シュトットガルト食肉市場の近所にある事務局に各自の製品をエントリーした。

スモークハウス工場見学では、スモークハウスの仕組みやいろいろな種類のスモークハウスの説明をしたいただいた。スモークハウスの仕組みが理解できるとスモークハウスの使い方も少しかわってくる。いろいろな長所短所がわかって製品作りにも役に立つようになる。他社のスモークハウス工を使っている人も大きくうなずきながらそれぞれ収穫をえていたようだ。

工場見学後、ホテルに入りミュンヘンで購入した備品などを分けて食事に向かった。シュトットガルトの名物の餃子のような料理など南ドイツの料理をいただいた。

NewYork紀行記

◆ニューヨーク<1>UA800便-anchorage上空。

「………beef or chiken?」の声で目が覚めた。

「Chiken.」と答えた。

私が眠っていたのに気が付かなかったのかな?

今、ニューヨークに向かっている飛行機の中。15年ぶりのニューヨーク。この間にNewYorkも随分変わったようだ。近代美術館もできた。ツインタワーが無くなった。食品がおいしくなったようだ。最近ではニューヨーク発信の食べ物が随分と増えているような気がする。オールドファッションステーキ、デリカ、高級スーパーマーケットに食肉市場、、、。いろいろな方から情報をたくさん頂いて「ニューヨークを見に行く。」


ニューヨークで8年暮らしていた方のお話を伺った。

「ニューヨークはアメリカにあるけど、アメリカではないから、、、。」

「くさやを焼いていた私の隣の部屋ではキムチを漬けていた。逆ののお隣さんは、ガラムマサラの香りだった。向かいのビルからは、オリーブオイルとガー リックの香りがあふれていて、その階上からは24時間絶えず大音量でJAZZが流れてきていた。」

ここ数年ニューヨークのことが気になっていた。

ここ数ヶ月、ニューヨークの話題が周りにたくさん流れていた。この機会に、「ニューヨークを見に行く。」


◆ニューヨーク<2>”MOVIN OUT”

ニューヨーク・ケネディー空港に到着。

あやしい白タクの勧誘を振り切ってマンハッタンに入った。

ホテルに荷物を置いて早速、街に出た。

まずは、ミュージカルのディスカウントチケットの情報を収集。

目当てのミュージカル「movin out」が50%OFF。

迷わず今晩のチケットを手に入れた。


ミュージカルの開場まで、プラプラと散歩していたら地下鉄の駅で3つ分ほど歩いてしまった。また、歩き旅がはじまった。地下鉄でミュージカルホールに向かった。既に行列ができたいた。


ビリージョエル大ファンの私。そのビリージョエルの曲のみを使っての、アメリカの70年代の若者たちのストーリー。

ロックンロールとパーティー、恋愛とベトナム戦争。セリフがほとんど無いミュージカルでわかりやすく、大好きな曲ばかりが流れあっという間にフィナーレ。

最後はスタンディングオベーション。涙がにじむほど感動した。

マンハッタンで最初の朝を迎えた。

まずは、「Grand ZERO」へ向かった。大きな大きな工事現場がぽっかりと穴を開けていた。

大勢の観光客がアメリカ中から、世界中からやってきていた。犠牲者の追悼のため、2度と繰り返さないため、忘れないためのモニュメントや掲示 物に人々が目をむけ、カメラを向けていた。

隣の教会には、世界中から届いたお見舞いと追悼のたよりが展示されていた。


ニューヨーク<3>ダウンタウン-南-

グランドゼロから足をウォール街に進めた、mangiaというカフェで朝食をとる。洗練された広い店内は高級かつシンプル。現在ではニューヨークデリの最高峰と言えよう。そのすてきなメニューとサービスに心地よく包まれながら今日の予定を再確認。観光客の群れから離れ裏道を使い、マンハッタン


最南端のバッテリーパークへ。ここからは自由の女神が望める。自由の女神の立つリバティー島へのフェリィーもここからでている。天気に恵まれ朝日に輝くミスリバティを後に、地下鉄でマンハッタンの台所。ミートマー ケット(食肉卸市場)へ急ぐ。

朝の賑わいはすでに落ち着いていた。日本の食肉業界がアメリカをお手本にしたせいか日本の食肉市場ととても良く似ている。以前は、食肉卸業者が軒を連ねていたのだろうと思われるテナントは、ほとんどがブティックになっていた。そこで、3匹の豚がお店をのぞいているディスプレイを見つけた。

 

 隣にあるチェルシーマーケットも昔は肉屋さん街だったのかなと思われるが今では、自家製のパンを焼くカフェ、自家製のデリカの仕込みで忙しいカフェが並ぶ。ランチに忙しいカフェが行列を作り始めてい た。自家製デリのお店はどこも混んでいる。さすがニューヨーカー旨いものをねらっている。

つづく

ニューヨーク<4>ダウンタウン-SOHO-

昔は、若手の芸術家が集まって若いアートが盛んだったSOHOへ向かいながら散策。

 ニューヨーク大学を抜けて、有名なJAZZクラブ「ブルーノート」を発見、学生街として映画や本にでてくるブリーカー通りを渡ってsohoについた。



私が愛用しているアップルコンピューターのストアを発見。

ここでは、コンピューター、 周辺機器の販売の他に多岐にわたる情報の提供をしている。何か、ニューヨーク店オリジナルの小物でもあればと思ったが、販売商品は東京とほとんど一緒。 さすがにすごいなと思いながら少々残念。

ニューヨークデリの探検は更に続く。

SOHOにあるフードショップ「ディーンデルカ」ここは圧巻。店に入るや否や目も心も吸い込まれた。メインの総菜デリカはもちろん、スィート、パン、お茶にコーヒー、フルーツに野菜、オイル、ハーブに魚介類に魚介の加工品、肉とハムソーセージ、パ テ、キッチン道具からお料理の本、いずれも各コーナーしっかりとしている。

私の中のニューヨークの食の意識が一気に変わる。


(店長さんから3枚だけ撮影許可をいただきました。)

更にSOHOを散策するが、15年前に訪ねた頃のような若いアーティストのギャラリーはほとんど無く高級ブランド店と高級ブティックが軒を連ねるように様変わりしていた。

元々倉庫街だったこの地は、SOHO`s  Loftと言って倉庫を改造して造られたギャラリーが沢山あって楽しかった街っだのだが、街の人気とともに家賃が高騰して今の街に変化していったのだろう。更に歩く。隣はリトルイタリィ、その隣には巨大な中華街がある。

つづく


ニューヨーク<5>ダウンタウン-リトルイタリィ/リトルチャイナ-

更に歩く。隣はリトルイタリィ、その隣には巨大な中華街がある。リトルイタリィは、年に1度のお祭りだった。幸か不幸か、お祭りはイタリアの情緒は味わえず、アメリカンなお祭りに染まっていた。

アメリカのバーベキューは豪快だ。中華街は世界中どこも元気だがニューヨークの中華街は凄い。パリ、ロンドン、ミュンヘン、ミラノ、横浜、神戸、長崎と数々の中華街のなかでもずば抜けて凄いパワーだ。

夢中になって歩いていたら夕方になっていた。マンハッタンの南をほぼ1周あるいている。急に疲れを覚え、カフェで小休止。今晩の予定を考えることにした。アメリカもビールが旨い。

ホテルに戻って荷物を置いて仕切り直すか?このままマンハッタンの外に出て摩天楼の夜景を外から眺めるか?足の疲れもあったがあこがれのブルックリン橋を渡って摩天楼を眺めることにした。

「いざブルックリンへ。」と地下鉄に乗った。駅を2,3過ぎた頃、乗り間違いに気が付いた。乗っている地下鉄は反対方向のホテルの方へ向かっていた。トホッ。少々気抜けしたものの気持ちを切り替えてホテルに荷物を置いて仕切り直しに変更。

ホテルに向かう途中、ミュージカルのディスカウントチケットセンターを覗いたが目当てのものは無かった。ホテルに着いて午後6時。辺りはまだ明るい。ここで今日を終わらす分けにはいかない。では、ヤンキースタジアムに行ってみよう。先ほど地下鉄にヤンキースコスチュームの人たちが大勢いた。

ニューヨーク<6>ヤンキースタジアム-1では、ヤンキースタジアムに行ってみよう。

先ほど地下鉄にヤンキースコスチュームの人たちが大勢いた。野球はほとんど知らないけれど、松井のいるヤンキースが優勝争いをしているのは日本でもニュースに流れていた。今日もヤンキースのゲームがあるらしい。 チケットがあるかどうかわからないがとにかくスタジアムに向かった。Tシャツをグレー&ネイビーのものに着替えて(ヤンキースとは全く関係ないプリントだがコスチュームも気持ちのうち。)アバウトな情報だが地下鉄に乗っ た。ホームに数人ヤンキースファンがいた。間違いない今日はゲームがある。この人たちに付いていけばスタジアムに連れて行ってくれるはず。ホームに入ってきた地下鉄

に乗ったら、止まらない。急行かなにかのようだ、車 内を見渡すとヤンキースファンがいない。また、間違えた!路線図を見るとまだ間に合う。次の駅で乗り換えた。なんと車内の半分以上がヤンキース。間違いない。当日券売り場に並ぶと外野の後ろの方の席が買えた。

さぁ、1晩のヤンキースファン気分も上昇してきた。ゲームが始まっているかどうかわからないが、ついでに、SPORTS  BARでヤンキースファン見物。かなり盛り上がっている。ビールを1本もらってヤンキースBARを楽しんだ。

みんなでテレビの試合をみていた。っえ!ゲーム が始まっている。1回裏。スタジアムに向かったら、まだ入り口が混んでいる。やっとゲートに入ったら、「without your bag from  here.Go OUT!」

スタジアムに鞄を持ち込んではいけない。とのこと。!!!ほかにもそんな人がいて付いていくと鞄を預けるところがあった。良かった!鞄を預けてスタジアムへ。にわかファンは大変だぁ。

高い所の席を探すと私の席に誰か座っている。訪ねたら怒られた。ヤンキースのチャンスの最中だった。近くのお姉さんが開いてる席に座るように促してくれてビールも買っていよいよ応援開始。

松井のヒットに日本人の私に「Good MATSUI]と握手を求められる、みんな楽しそうだ。そう言えば、イタリアでは「中田」と呼ばれた。

私と同じ歳のランディーンジョンソンという長身のピッチャーががんばっている。ゲームも好調。5回終了後パフォーマンスやスタジアムあげての応援に気持 ちよく遊んでいた。外野席は玄人ファンが多い。目の前のおじさんのヤンキースキャップは、手あかで真っ黒になっているが、日に色あせている。そのヤンキ ースキャップのおじさんが辺りの人たちを取り込みウエーブを始めた、最初の数回は途中で止まってしまったウエーブだが6回目あたりでなんとかスタジアム を1周した。帰ってくるウエーブに応えてキャップのおじさんが始めたウエーブがなんと10周ちかく廻った。おじさんはヒーローになっていた。アメリカだ。気が付くとみんな仲良しなっていた。旅行者の私に、「Matsui,Good!」とビールまでごちそうしてくれた。楽しい一夜のヤンキースファンだった。

ドイツ食肉文化研修旅行

 集合・出発

私たちが組んだ今回のツアーは、「ドイツの肉屋の文化、知識、技術を学ぶ。」が目的です。ガイドには、ドイツマイスターなど数々の資格を持ち、日本中を かけめぐり手づくりハムソーセージの指導をしている、ダンカース氏ご夫妻。参加者は、私たち主催スタッフのハム職人、それからソーセージづくりを始める お肉やさん、ドイツの食肉文化を見たいお肉屋さんなどプロの方々を対象にしたツアーです。今回はハードスケジュール、ハウスメッツ、メッツゲライ(肉屋 さん)、マイスター食肉学校、ソーセージ類の機械工場、スパイス工場、と殺場などを見学する自由時間がほんどないの視察研修旅行です。

出発は、月曜日。ルフトハンザLH711便。朝早い便だったのと九州からの参加者もいたので、成田で前泊しました。夕方、ホテルに集合。夕食をとりなが ら自己紹介、意気投合はあっという間でした。翌朝早いのに、明日からずっといっしょなのに話に花が咲きなかなか部屋へ戻りませんでした。

翌朝、遅刻なく全員集合。ホテルのシャトルバスに乗りいざ空港へ。空港入口の検問で、「パスポートをお願いします。」の声に「あっ、パスポートがな い。」のメンバーの声で一瞬。顔面蒼白。

空港で朝着のメンバーと合流して、参加メンバーが揃いました。

早々にチェックインして、出国、搭乗。チェックイン中、オンラインがダウンしてしまったりしましたが、なんとか、無事全員搭乗しました。約1名、ドイツ のおみやげに買って来た日本酒を飲んでゆっくり寝るとと言っていましたが、なかなか寝付きません。十数時間のフライト。目指すは、フランクフルト。

ドイツ上陸

長い空の旅もいよいよ着陸態勢。機内では、ほとんどの人が目を覚まし着陸を待っている。

フランクフルトでミュンヘン行きに乗り換える。ミュンヘンでは、今回のガイドを務めてくれるダンカース夫妻が迎えてくれる。

フランクフルトに着陸。ここで、ECに入るため、パスポートチェック。ECに入ると国と国の間の移動がスムーズになった。

いよいよドイツに着いた。ドイツが初めてのメンバーもいるのいで、ドイツ上陸記念に、ビールとフランクフルトで乾杯した。

ふらんくから1時間でミュンヘンへ。ミュンヘンでは、ダンカース夫妻が迎えてくれた。自己紹介と早々に大きなワゴンに乗り込み、シュタルンベルグ湖 (Starnberger  See)近辺のpokinメッツゲライ・ルッツ(metzgerei:お肉屋さん:ドイツのお肉屋さんは、ソーセージハムを自家製造している。)を訪ね る。

ルッツさんのお店の目の前のホテルにチェックインをして、5分後に集合、そのままメッツゲライ・ルッツを訪ねた。既に閉店している。外からみるかぎりか なり大きなお肉屋さんだ。胸がワクワクする。このお肉屋さんから日本人マイスターが2人でている。今回のリーダーの斎藤さんは、ルッツ社長と親友だ。

裏口の作業場から入る。ぐるめくにひろより二回り位以上大きい機械が整然と並んでいる。見たこともない、何に使うかわからない機械もある。大きな声で 「こんにちは、こんばんは、グーテンダーク。」と挨拶をしながら入っていく。緊張と楽しみが混在している。

大きな衝撃・metsugerei LUTS

いままで、ドイツの肉屋さんも随分見てきた。イタリア、フランス、スペイン、イギリス、、、、とヨーロッパのお肉屋さんは随分見てきた。肉屋育ちの私 は、この仕事に就く前の学生の頃から旅先で肉屋を見てきたが、現場、作業場を見せてもらうのは、今回が初めてである。

見学は翌日といことで、日本からの私たちを交流の深い斉藤氏の力添えもあったおかげで

南ドイツバイエルン地方の料理とバイスビアで大歓迎で迎えてくれた。

おいしい料理とビールと笑顔のなか盛り上がり、1日半以上移動を続けていたが、その疲れも忘れてはなしは、続いた。同行した「全国食肉連合会」の会長さ ん(日本全国のお肉屋さんの代表)とバイエルン州のメッツゲライ(南ドイツの食肉組合の組合町)は、それぞれのバッジを交換し、今後も日本人のハム職人 をめっざす人間を受け入れていただくことをお約束しました。

朝5時から仕事を始まるドイツのお肉やさんの仕事をみさせていただくことになった。

各自、起床して見学をさせていただくことになった。朝4時起床。

地下の原料処理室では、社長のルッツさんが、枝肉の処理をしていた。

日本の処理とは、まったく違っていたが、肉を加工するには、とても効率の良い方法の用に思える。

日本の処理方法は、加工用よりも、テーブルミートのためのものである。

自家と殺から、加工販売までを行う工房&店舗はとても、効率的に設計されている。

原料処理をみていて一番感じることは、肉をよくしっている。

どの部位も、どのような状態の豚肉もその肉にあわせて処理されている。

無駄も全くなく、遠慮も怖さもなく、大げさでもなく、その肉に対してベストな処理がされている。

ハム、ソーせージの製造ももちろんその勢いです。

工房内は、清潔に掃除整理整頓され、衛生的な作業ができる。

まさに、ドイツ職人の優秀なマイスターの仕事をかいま見ることができました。

習うこと、衝撃的なことがおおい。朝の見学でした。

7時をすぎると、レバーケーゼが焼き上がり、バイスブルストも茹であがりおいしい朝食となりました。

滞在中、ずっと通訳を務めてくれた丸山君から、そのドイツでの修行、勉強、生活の苦労話も聞くことができました。

ルッツ社長ご夫妻、息子さん、娘さん、スタッフのみなさんに大変おせわになりました。

日本のハム職人がドイツの職人の仕事を勉強しにきたということで、帰る頃に地元の新聞社が2社も私たちの取材にきていました。

シュタルンベルグ湖を後にしてミュンヘン市内の食肉ソーセージ関係の道具屋さんへ車を走らせました。

ミュンヘン・道具屋さん訪問

雨のアウトバーンをワゴン車は急ぎます。今日は、見学後そのままアウグスブルグへ移動します。

この道具屋さんは、時々品物を送ってもらう問屋さんです。メールで注文すると1ヶ月ぐらいでとどきます。でも、お店を見るのは初めて、さすが、ソーセー ジの本場、ドイツ・ミュンヘンの道具屋さん。今までに見たことのない道具、機能的で関心してしまう道具がたくさんあります。「あーあんなのもあるん だぁ、こんなものもあるんだぁ、便利だなぁ、買っていこうかなぁ。」

ちょっとの見学時間の予定が夢中になってしまいました。いろいろな道具、消耗品を買いました。このお店の顧客リストにぐるめくにひろが登録されていまし た。「ちょっとうれしかったです。」

時間を大幅に延長してしまって、帰宅渋滞が始まってしまい、ミュンヘン市街の見物は、キャンセルされました。ドイツ旅行で初めて、マリアンプラッツ(街 の中心地、市場、高級食料品店、刃物の老舗ヘンケルなどのあるところ)や、ホフブロイハウス(バイエルン王国のビールの醸造所・有名な大きなビアホー ル)を訪ねない旅になりました。

<初めての町:アウグスブルグ>

ワゴンは、再びアウトバーンへ入りアスグスブルグへ向かいました。

今晩は、アウグスブルグのビアハウスで夕食をとり宿泊して明朝、マイスター食肉学校を訪ねます。

車はアウグスブルグに到着。初めて訪れる町です。楽しみです。

ホテルにチェックイン後、夕食の集合まで少々の時間があります。「もしかしたら、散策できるかもしれない。」部屋のキーを渡されそれぞれ部屋に入りま す。ホテルにしては驚くほど小さいエレベーター。ホントビックリです。2人と2人分の荷物を入れるのが精一杯。私の部屋は5階、でもエレベーターは4階 までしかありません。そこから、階段です。大きなトランクをもって階段で上がります。

なるほど、実は、今回の旅行2人の女性を除いて私が一番若いのです。そういうことでしょうか?フフッ。部屋に荷物をおいてみんなで町を散歩することにし ました。5分ほどで全員集合。みんな町にでたいのですね。散歩、買い物がしたいのでしょう。商店街をあるいくとデリカテッセンがありました。高級そうな デリカテッセンです。ちょっと遠慮しましたが、中をのぞいてみました。ハムもソーセージもサラミも生ハムもいいものが並んでいました。このお店の商品コ ンセプトが伺えます。ずっと見て回るとお寿司もありました。さらに続くのは、野菜と魚のデリカそして、サラダが圧巻30種類ほどあります。更にその向こ うには、デザート。ここでいろいろなものを選んでゆっくり食事をしたい気持ちになりました。更に進んでいくと市場がありました。誰ともなく当たり前のよ うに入っていきましたが、夕方ですので、市場には、活気がりません。肉屋さんは、1軒しか見あたらず、八百屋さんが圧倒的に多く、パン屋さん、少々とお 魚屋さんが2軒でした。ハローウィーンが近いこの季節は、どこの八百屋さんもオレンジ色の大きなカボチャでいっぱいです。海が遠い南ドイツの町の魚屋さ んは、鮮度とデリカテッセンへの努力には、目を見張るものがありました。ただ、寂しい感じの市場でした。

翌朝、市場にでかけました。お肉やさんは、FleisherHallというお肉屋さんが数軒集まっていました。昨日の夕方来たときはもうここは、閉まっ ていました。ホールの中は、広場を囲むようにお店が軒をならべています。真ん中の広場では、お昼時になると簡単な昼食をとる人、昼食を嘗ていく人たちで いっぱいになります。

お肉屋さんのホールのなかに、1軒だけ、無添加の製品を少しだけ扱うお店がありました。

「BIOLAND」というブランドの、野菜、肉類、穀物類などの食品、加工食品を時々見かけます。3年前にドイツでは、全く見られませんでした。世界的に自然の実りの食が見直されています。

きれいな元気な魚やさんは、活魚を網ですくって水槽にどんどん入れている魚屋さんを見学にきていた小学生が見て、魚が暴れると歓声がわきます。朝の市場 は、活気にあふれています。

<南ドイツで代表的なフライシャーマイスターの学校へ訪問。>

学校には、と場、市場、道具屋、機械屋、が隣接されています。

私は、日本の食肉学校にかよっていましたが、やはり、市場とと場が隣接していましたが、道具屋さん、機械屋さんは、ありませんでした。

 新しいと殺場を建設中でした。建築中のと場を見学させてもらいました。衛生的でかつ効率的なと場からは、食肉文化の歴史を感じます。食肉を知り尽くし たドイツには、日本にはない、なるほどと思われるルールがたくさんありました。(豚車は、豚をおろした後にきれいに洗車をしなくては、場外にでてはいけ ない。)

アウグスブルグという町にその昔200軒以上あったが、人工50万人の今の町にはしっかりしたメッツゲライは、20軒(その他にチェーンストア、ディス カウントショップ有り)将来を考え先進的な考えのメッツゲライが、お金を出し合い、町と国とともに、新しいと殺場をつくったのです。しっかりしたドイツ の肉屋は考えも、やることもしっかりしています。

マイスターの学校では、ソーセージの新しい技術、をみせていただきました。目を見張るものもありました。

その日学校では、マイスターのテストが行われる日でした。

わたしたちは、テストを見学する機会を得ました。

会場では、数十名の学生が数台の機械をつかいながらそれぞれの課題を進めていきます。

その技術は、さすがに見事なものです。「学生とは思えません。」と言ってもここにいる学生は、ちょっと違います。

ここにいる学生は、マイスター学校の卒業テストを受けているのですから。

ドイツマイスター制度を少々説明します。

マイスターを取得するためには、3年以上マイスターのもとで仕事をしてから、ゲゼレ(職人)というテスト(筆記&実施テスト)を受けます。ゲゼレをパス したものが、更に3年間マイスターの元で働きながら原価計算、仕事の段取りなど経営の勉強をして、半年マイスターの養成学校に入って卒業後、やっとマイ スターのテストを受けられます。

この卒業テストですから、6年現場で仕事をしている学生は実に見事というわけです。

マイスターのテストは、一生のうちに2度しかうけられません。2度失格すると一生ゲゼレとして職人をやっていくことになります。ドイツでは、マイスター のみが開業を許すされます。ドイツのマイスター制度は世界でもっとも厳しいレベルです。

<地図にも載っていないstulingen>

アウグスブルグを後にして、スイス国境近くの田舎町スチューリンゲンへ500km位のドライブです。延々とつづく田園風景は、紅葉がはじまりとてもきれ いです。小さい田舎町をいくつも通り過ぎて、秋の始まりの南ドイツの山には、雪が降り始めました。「黒い森・シュバルトバルト」では、丁度冬がはじまり ました。スイスとの国境ゲートの横をすぎてスーチューリンゲンへ着きました。

絵に描いたようなドイツの田舎町。古いかわいい家が軒を連ねます。曇り空の薄ら寒い町には、人が一人も見あたりません。日本人観光客は、ほとんど来ませ ん。

町の裏の鹿やきつねなどが多くいる山を越えホテルへ向かいます。

ペンション風のホテルはシーズンオフで休業中ですが、素泊まりということで宿泊させていただきます。

食事は、町のレストランでドイツの田舎料理をいただきます。肉の煮込みの数々が不思議な味、初めての味でとてもおいしい。シュバルトバルト(黒い森)の ビール(Rothhaus)がよくあいます。

あしたは、最終イヴェントのハウスメッツです。楽しみです。

<ハウスメッツ>

いよいよハウスメッツゲライの朝。昨晩の雪はやんだが、とても、寒い。東京では真冬でもこの寒さになる日は、滅多にないくらい寒い朝。

ホテルで、パンとソーセージ、チーズ、フルーツ、コーヒーの朝食をとった。さすがに毎食のソーセージに飽きてきている人がではじめた。もちろん、わたし は、全然平気、毎食発見がある。全員車に乗り込んで、アイスバーンになった、山道をゆっくり登っていく。

本日の会場は、レストランとシュナップス(お酒)醸造場を営む、裏山の頂上手前の農家。

ハウスメッツゲライとは、

昔ドイツの農家では、秋になると豚を1頭をすべてハムソーセージを作って冬の保存食にする。その日は、子供からおじいちゃん、おばあちゃんまで一家総出 で2日から3日間作業をする。

ハム、ベーコン、ソーセージ、生ハム、サラミなどなどどんどんたくさん作る。豚の捨てるところは、目と爪だけ。いっさい無駄をなく豚肉をいただきます。

これをハウスメッツゲライといいます。

会場に着くとビニールのエプロンを全員に渡された。

「っえ!僕たちも作業するの?」

「見てるだけ。」って聞いてきたから作業着や長靴を用意していない。

一緒にやらせてくれるならしっかりと用意してきたのに、、、残念。

同行したハム職人が、私を含めて3人。

ドイツのマイスターが、3人。その他の参加者にも手伝ってもらって、全員でソーセージをつくります。

マイスターに指示をもらいながら、どんどん、作業を進めていきます。

最初は、作業着なく数少ない着替えが汚れるのをきにしていたわたしたちですが、作業が進むにつれて夢中になっていました。

小雪の中の外での作業は、非常に厳しく実際のハウスメッツゲライを実感できます。

第1段階の肉処理、皮の毛の処理、内蔵の処理洗いなどを終了すると、獣医さんのチェック待ちです。

しばしの休憩です。シュナップス(果物の蒸留酒)を飲 んで冷えた体を癒します。獣医さんのチェック後は、レストランのキッチンでソーセージづくりの下準備です。

日本人職人チームは、日本の処理法と全く違う方法の指示を受けながら作業を進めます。

ソーセージに使えない肉や、骨、筋、皮は煮ます。今日は、会場の農家さんの蒸留酒(シュナップス)を造る釜で肉を煮ます。処理しながらでた煮物用の肉を どんどん向かいのシュナップス製造釜へ運びます。シュナップスの釜の横では、瓶詰めの作業が行われていて、気のいいドイツ人は、肉を運んで行ったわたし たちにできたてのシュナップスを飲ませてくれます。私たちは、代わる代わる肉をはこんでいました。九州から参加の石橋さんもその噂を聞きつけて肉をもっ てやってきました。「この釜に肉を入れるとシュナップスができるの?」噂は怖いですね。そんなかたちに伝わっていました。(笑)

最初に作るのは、ブラートヴルスト(焼きソーセージ:生から焼いて食べるソーセージ)

処理した挽肉に、塩、香辛料、ハーブ、などをまぜて、練ります。70kgの肉を練るのは、とっても大変です。職人以外の見学者も含めてみんなで交代交代 練ります。

よーく練られた生地を、腸に入れます。手軽な充填機をつかって充填します。小さい充填機で70kgを詰めるのは、とっても大変。私たち職人以外の人たち も進んで充填をしたり、ソーセージをひねります。作業台の周りは冗談と笑顔があふれ楽しいブラートブルスト・ソーセージ作りで午前中をおわりました。

昼食は、ビールと自分たちがつくったソーセージ。パンにスープにチーズ。

少々ながめの休憩をとって、午後は、血液のソーセージ2種とレバーブルスト農家風。

日本ではいろいろな制約があってなかなかできない血液のソーセージ。

珍しさにみんな夢中です。

ハーブとシナモンの香り豊かなブルードヴルストは、とってもおいしいです。

バケツに入った血液に塩と香辛料とハーブを加えて調味します。味の確認は、マグカップに注いでみんなで一口づつ飲んでみます。女性参加者も躊躇無く飲ん でいました。さすが、参加意欲を感じます。腸詰めブルートブルストは、太めに腸に詰めて適当な長さで捻って糸で結んで茹でます。今日の夕食のおかずにで てきます。

今晩の夕食は、今日私たちが作ったソーセージや、肉の煮物で、この旅行最後の晩餐です。

残念ながらもう1種類の血液のソーセージは、できあがるのが翌日のため食べられませんでした。

レバーブルスト農家風も、みんなで練りました。

豚腸への充填は、ツアー参加者の女性がやりました。

ここまででハウスメッツゲライの私たちの作業は終わりました。

毎日やっているソーセージづくりですが、場所がかわるとこんなに違うソーセージづくり。楽しかったです。

夕食は、ハウスメッツゲライでお世話になったレストランで、レバーブルスト農家風と血液のソーセージ、マッシュポテトとキャベツのザワークラウトです。

みんなでつくったソーセージをマッシュポテトと会えてパンにのせて食べるとほんとにおいしかったです。

初めて見て、初めて参加するハウスメッツゲライは、いろいろな勉強になりました。

みんなで記念撮影(馬も記念撮影加わりました。)

スパイス工場、ソーセージ製造用の機械工場、湯むき用機械工場、パン屋さん、お肉屋さん数多くの見学をさせてもらいました。一人旅や個人旅行では、でき ない体験を数々させてもらいました。機会が、あればまた、このツアーを組んでみんなで行きたい気持ちでいっぱいです。

ミュンヘンから成田行きのLH機内にて03/10/26

くにひろヨーロッパ珍道中

プロローグ

この旅日記は、いまから9年前(1999)の秋のヨーロッパ旅行の日記です。

ぐるめくにひろを立ち上げて間もない頃、強行スケジュールでパルマとミュンヘンを訪ねました。今の私の原点と言える旅かもしれません。この文は、当時のくにひろたよりで連載させていただきました。

「あの旅日記をもう1度読みたい。」と熱烈コールをいただいて、写真付きで改めてアップさせていただきます。当時のくにひろたよりは、ファックスのみでしたので、このようにカラーの写真を添えることが出来ませんでした。お楽しみください。

今、ミラノ行きの飛行機の中で。

久しぶりのヨーロッパです。イタリアは、15年ぶりです。パルマの生ハムに出会ったイタリア以来です。ワクワク。
全航空距離9750km、現在シベリア上空。高度、10700m、残りの飛行時間、約6時間。
「近くなったヨーロッパ、狭くなった地球。」と言われますが、狭いシートでの10数時間の暮らしは、いつまでたってもなかなか慣れません。

私が初めてヨーロッパへ行ったときは、アンカレッジ経由でした。長距離バスがドライブインに寄ったような、日本とも、目的地とも、違う空気にふれられて少し得した気分だったのを覚えています。今でも、直行便でなく香港経由だったり、どこかを経由すればこの気分を味わえるのでしょうか?でも現実には、時間がないなかでの強行旅行になってしまうため、直行便などになってしまい、余暇を楽しむようには、なりにくいです。でも今回は、ボローニャで日曜日を迎えます。当初の予定では、なにも活動のできない日曜日を、移動日にしていましたが、飛行機の都合で日曜にイタリアの田舎町で1日を過ごすことになりました。余暇を楽しめるかもしれないスケジュールになりました。

ミラノ国際空港に着くとバスで市内に入ります。窓から元気にに走っている小さい自動車をながめていると、「車がきれいだ、新しい。」事に気がつきました。前に来たときは、古い車、アチコチぶつけている車が多い印象でしたが、東京と変わらない。ファッションの町ミラノのためか?イタリアの経済がよくなったのか?は、わかりませんが。バスを降りて地下鉄に乗り換えホテルへ。荷物をおいて夜のミラノの街へ足をむけました。DUOMO駅(大聖堂)大きく立派な静観な大聖堂は、なにかのイヴェントのためにライトに照らされその姿を闇夜に浮かべていました。大聖堂前広場では、オペラ座からの帰りの正装をした人たちが目に付きます。私は、広場近くのカフェでビールとオリーブの酢漬けとアンチョビのベーグルでイタリアの初日を祝いました。

-ミラノからボローニャへ-

ミラノから新幹線に乗って約2時間でボローニャに到着。

ボローニャでは、ホテルが決まっていないので、ホテル探し、ホテルが決まったら、パルマハム工場・オリーブオイル工場へのアポ確認。いよいよ食の都、ロマーニャエミリア(emilia-romagna)で始動。

ロマーニャエミリアは、食の都、名産物は、パルマのプロシュット(生ハム)・バルサミコ(ワインの醸造酢)とパルメジャーノレジャーノ(パルメザン粉チーズ)があげられる。私の大好物ばかりです。

パルマ(parma)とボローニャ(bologna)の間にあるモデナ(modena)には、手づくりスポーツカーメーカー、フェラーリの本拠地であり、フェラーリ博物館やテストコースも見物できるとのこと。イモラ(imora)やサンマリノ(san-marino)とモータースポーツも盛んな土地です。その他、モデナの大聖堂は世界遺産にも指定されています。ビザンチン、ロマネスク、ゴシックからルネッサンス時代の建築物多く有名な建築家の建物が多く見られます。イタリア北部のロマーニャエミリアは、州北部を流れる大きなポー川から枝分かれした数々の川流域に豊かな穀物地帯が広がり、小麦、葡萄栽培や豚や牛の畜産、酪農も盛んな土地です。ルネッサンス期は、イタリアの台所として大きく広くロマーニャエミリアは、繁栄しました。

-ボローニャ&パルマ-

ボローニャは、ロマーニャエミリアの最も大きい都市です。赤い屋根が連なるその町は、ヨーロッパ最古の大学あることでも知られています。

駅に降り立ち観光客で賑わう駅舎の旅行者インフォメーションは大変混雑していています。気が焦る私は、大聖堂前広場にあるインフォメーションまで街の散策をかねて歩き始めました。週末にでる市のテントが立ち並ぶ坂道をあがりながら、大聖堂広場につきました。インフォメーションでホテルマップをもらい近くのホテルから順に空き部屋を聞いて歩きました。週末は、ホテルがいっぱいで5軒目でやっと1部屋を確保しました。

生ハム工場、オリーブオイル工場は、土曜日で電話に出ません。工場の場所も住所もわからないままの出発になってしまったので不安になりながらも街に出て腹ごしらえです。カフェでプロシュットとサラミのサンドウィッチを食べながら先ほどの市や街の散策をしました。

翌日の日曜日は、お店もなにも休みで身動きがとれないだろうなと思いながらも、万が一工場への連絡が付かないときのために自力で動けるようにと情報収集にパルマに出かけました。

パルマの町のなかでバスやタクシーの運転手さん、カフェのマスターなどに生ハム工場の場所をきいてもわかりません。田舎町では、英語は、ほとんど通じず、イタリア語で書いたメモを見せて訪ねる状態。てごたいのある情報を得られずまま、モデナに移って世界遺産の大聖堂でも見に行こうかなと思いながらも、明日の夜には、ミラノ戻らなくてはなりません。日曜日の今日を無駄にするわけにいかず、地図や時刻表を手に入れ、インフォメーションの場所やレンタカーオフィスの場所を確認しながら、イタリア語でメモを書いてハム工場の場所を聴きながら日が暮れていきました。

-パルマハム工場訪問?-

ほぼ、全滅の状態でボローニャ方面への電車に乗りました。日曜の夜の電車は混んでいて食堂車でビールを飲みながら地図や時刻表を確認していました。相席した方に聞いてみると英語の通じる方でいろいろとアドバイスをしてくれました。次の駅で一緒におりて、いろいろな人に聞いてくれるとのこと、なんとわらをもつかむ思いで途中下車しました。いろいろな方にきいてくれたり、電話で知人にも聞いてくれましたが、パルマの山の方だろうということしかわかりませんでした。ただ、その人が「ボローニャの市場があるからそこできくといい。」と言っていました。ボローニャに市場にがあるというのは、大きな収穫です。ホテルまでの帰りにボローニャの市場の場所を確認して明早朝に備えました。

明日は、月曜日、事前にメールでお願いした工場とも連絡が取れるかもしれないし、市場ならある程度の場所がわかるかもしれないし、生ハムのパッケージには、工場の住所が書いてあるかもしれないし、昼間までの不安が嘘のように小さくなり、希望がムクムクと私のなかで育っていくのがわかります。

元気になりお腹が空いてきました。

ピッツェリアで夕食をとることにしました。生ハムとオリーブとアンチョビのピザと赤ワインで満腹なり、ボトルに残ったワインは、ホテルに持ち帰りいよいよ明日です。

ロマーニャエミリア最終日・パルマハム工場訪問?

イタリアに入ってからやっと平日がやってきた、朝早く起きて市場へ出かけることにしていた、市場の場所は、昨日の夜に確認済み、ロマーニャエミリア最終日の今日、朝4時起床、もちろん朝はまだあけていない。夜明け前のボローニャをオレンジの水銀灯が照らしている。ホテルから歩いて3分ほどと近いことに感謝です。

市場に1歩足を踏み入れると月曜日の朝、暗いうちから活気がある。チーズのお店、肉屋、ハム屋、パン屋、食料品屋、スペースを大きくとっているのは、やっぱり八百屋さん、ところ狭しと野菜たちが積み上げられている。どこのお店もオープンの準備で忙しそうで元気です。こうなると私も元気になります、問題のプロシュートのラベルよりなんだか、うれしくなってチーズやらバルサミコやら肉の値段やらと気になって気になって、楽しくってしょうがない。

買いものもしないのに朝の忙しいときに、僕の相手なんかしてくれるだろうか?

Dove et proscioito fabbrica? (生ハム工場はどこですか?)何度も言っているうちに覚えてしまった。そんなことを考えながら、うろちょろしていると、おいしいそうに切ってあるプロシュート発見、ちょっと味見をさせてもらって、当面の食料にと、生ハムひとかたまりを購入。

そこで、”Dove et proscioito fabbrica?” パルマ市全体の地図を見せて話してみるとご主人の息子さんが奥から出てきて、英語で親切に対応してくれた、パルマから山の方へ2・3駅行って、そこからタクシーかレンタカーらしい、小さい3つの町を教えてくれた。(Sala,Felino,langhiran)

工場のある村の名前と場所がやっとわかった、この地名のために3日かかった。

あとは、現地に行って工場を探すだけ、俄然やる気が出てきた、ホテルに戻って荷物をそろえてチェックアウトして駅へ、予定していた電車に間に合ってホームへ駆け込んだが、電車がこない。この電車に乗れればパルマでの乗り継ぎが確実で、この次の電車だとちょっとギリギリすぎて危ない。もう、行ってしまったのだろうか?

予定していた電車に間に合ってホームへ駆け込んだが、電車がこない。この電車に乗れればパルマでの乗り継ぎが確実で、この次の電車だとちょっとギリギリすぎて危ない。もう、行ってしまったのだろうか? 駅員さんに聞いてみると、「その電車は今日は走っていないその次の電車で行ってくれ。」とのことなんと30分後、なんとかパルマでの乗り継ぎに間にあって欲しい。ユーロ新幹線がホームへ滑り込んできた、普通切符しか持っていないが取りあえず乗車。車内検札で乗車料金より高い特急料金を払い、とにかくパルマへ急ぐ、パルマに到着、乗り継ぎもよくパルマからのローカル線にも間に合った。目的地は、急行で1駅めのコレッキオ(collehio)しかし、このローカル線の切符を買っていない。

飛び乗ったローカル線の車内の車掌らしき人にきいてみた、
「あなたから、コレッキオ(collehio)までのチケットを買えるか?」っと聞いたら「no」
「チケット売場で買うのか?」と聞いたら「no」
「たばこ売場」と言っているが彼がなにを言ってるいるかわからない。
しょうがなさそうに彼が連れていってくれることになった。行ったのは、売店。
ローカル線の乗車券は、売店で売っていた。これが、たばこ売場と言っていたことなんでしょう。
チケットを手に入れて電車に乗り込み発車して10分ほどで、目的の駅に着いた。
「まさか!?」と思ったがとにかく降りた。ホームに立った瞬間、「やってしまった。」ととっさに思ったが手遅れ、乗ってきた電車は行ってしまった。
駅のホームには家畜の糞尿のにおいが漂うこの駅に降りたのは、私一人、駅舎まで行ってこの町の情報を得ようと思ったら駅舎は閉鎖で無人駅。

柵の脇から外へ出て町に行って情報を得ることにしたが、なんと平日の昼間にBARもCafeも閉まっている。町にも人がいない。「しまった!」手持ちの時刻表でパルマに戻る電車を調べたが40分後、40分間でこの町の情報を得てこのまま進めるか?パルマに戻るかを決めなくてはならない。

駅前?嘘のような田園風景!

少し歩いて行くと小さいカフェがやっていた、ここに入りビールをもらいカウンターの女性にきいてみた。
「タクシー乗り場は、ある?」 「no」
「レンタカーは、ある?」 [no」
外人がめずらしいのか後ろの方では、お年寄りたちがなんだかごそごそと話している。
「バス乗り場はある?」 「5分ほど歩いた国道沿い。」
 少し歩いて行くと小さいカフェがやっていた、ここに入りビールをもらいカウンターの女性にきいてみた。
「タクシー乗り場は、ある?」 「no」
「レンタカーは、ある?」 [no」
外人がめずらしいのか後ろの方では、お年寄りたちがなんだかごそごそと話している。
「バス乗り場はある?」 「5分ほど歩いた国道沿い。」
バス停まで歩いて行ってみたが、バスは、当分来そうにない。バスの行き先は私の目的地とは、違う方向。駅に戻りパルマへ戻り、仕切り直しをする事に決めた。
何となく思っていたがパルマからローカル線で10分のところなのに、こんなに小さい町とは、びっくりした。無人駅に戻り、チケットを買いたいが自販機もない、切符のチェッカーは、あるが、仕方なく、電車に乗って車掌さんから買うことに決めて10分遅れて来た電車に乗り込んだが、車掌さんがいない。ハッハッハ(-_-!) まいった。やがてパルマに到着して電車を降りた。
運転手さんに声をかけたが忙しそうに無視してカフェへ行ってしまった。私がいる場所は、パルマ駅のホーム。イタリアでは、改札がない。電車から降りたらそのまま出られる、、、、、。
時間がない駅から出るか。タクシーもバスもどうも時間ばかりかかってしまいそうなのでレンタカーを借りることにした。駅のインフォメーションでレンタカーオフィスの場所をきいて、レンタカーオフィスで予約ナシで今から車を1台貸してくれるか聞いたら、小さいのならあると言う、その小さいフィアットを借りた。レンタカーオフィスは、6時半で閉まるからそれまでに返さなければならない。
時間は、5時間ちょっと、朝、市場で聞いた町までは、20kmほど道さえ間違わなければ30分くらいで最初の町に着けるが

そのフィアットを借りた。レンタカーオフィスは、6時半で閉まるからそれまでに返さなければならない。時間は、5時間ちょっと、朝、市場で聞いた町までは、20kmほど道さえ間違わなければ30分くらいで最初の町に着けるが、しかし、そこでハム工場が見つかるかどうか教えてもらった町は、全部で3っつ、手前からSalaBeganza、その先がFelino、一番遠い30km位の町がLanghiranoには、ハム工場が多いと言っていた。

そこまで行ってでも、工場の建物だけでも見たくなってきた。車に乗り込み走り出す。

昨日の日曜日パルマの町中をうろうろとしつこく歩き回ったので少々の土地勘が付いていた、曲がり損ねても何とか復活して目指す国道62号にのり、車をSalaBeganzaへ走らせる、さっきの無人駅の町collehioをすぎた、道は間違いない。そう思っているうちに車は最初の町SalaBeganzaへ入った、牧草地帯が道の両側に広がり酪農が行われているのがよくわかる。パルメジャーノレジャーノの原料だろうか?などと思っていたらパルメジャーノレジャーノの工場の看板を発見。車を駐車場に入れて近寄ったが、門は、閉ざされていて直売所にも人影がない。

あきらめて縦長の細い窓が並ぶ建物を探しながら車を進めた。(余談:小さいフィアットもよく走る、この車種には、スポーツモデルの設定もある、スポーツモデルは、よく回るいいエンジンだろうと思ったりする。)

車は、牧草地帯を抜けて次の町Felinoに入った。最初の目的地SalaBeganzaでは、生ハム工場は見つからなかった。

Felinoの看板を確認して車を進める相変わらず目が追っているのは、看板と縦長の窓のある建物、プロシュットの看板は、なかなか目に入ってこない。Felinoに入ってから随分走った、ここもあきらめて次に行くかな?Langhirano方面の標識が出てきはじめた、Felinoの町が終わりに近づいているのだろう。と、そのとき、プロシュートの看板。

-ロマーニャエミリア最終日・パルマハム工場発見-

Langhirano方面の標識が出てきはじめた、Felinoの町が終わりに近づいているのだろう。と、そのとき、プロシュートの看板。車を寄せてバックで戻ってみると工場への入り口らしき道がある、その先には、新しい建物にブランド名が大きく書かれている。

更に車を進めて開かれた門を進み構内へはいる、迷惑にならないところに車を止めて、建物を見ると白い外壁にグレーの細長い窓が並んでいる、手前の建物の上部の窓には、肉を運ぶときのレールと思われるものがある、間違いなくプロシュート工場である。受付のようなものが無いか歩いていると初老の方が歩いている、大きな声で「ボンジョルノ。」と近づき、「私は、日本から来た。」と英語で自己紹介をして、「工場を見たい」とイタリア語で書いた、町で使っていた紙を見せた。すると受付室のなかに入れてくれて奥の人を大きな声で呼んでくれた。そこの部屋に掛かっている絵には、今の人が描かれていた。

「社長さんか?」などと思っていると奥から女性が出てきて事務所へと入れてくれた。

彼女は、英語がしゃべれるらしい。まず最初にきかれたのが、ここまで来た目的、(インポーターなのか、レストラン、デパートのバイヤーか?などということ)私の答えは、no。最初に言ったのが自分があなた達には、なんのオファーも持ってきていない、私は、日本で小さいハム工房をやっていて15年前に食べたパルマがおいしくてまた食べたくて、見たくてやってきた。ということを話した。事務所内の他の人と先ほどの初老の男性(社長さん?)がイタリア語で話している。

もう1度さきほどの女性が確認してきた。

「You have no offer for us.」
「Yes,I have no business for you,I’m sorry.」

もう1度さきほどの女性が確認してきた。

「You have no offer for us.」
「Yes,I have no business for you,I’m sorry.」

全く、こんなときばかりは、yesである。
その女性が内線をかけてロッカーから1冊のパンフレットを持ってきて渡してくれた。
ここまで来れたのだから「よし。」としようと心を決めた。すると、部屋のなかに白衣を着た男性が入ってきた、彼に私のことをその女性が話している、これで終わりだな、しょうがない、

「You go with him Prosciotto Fabbrica inside.」

私は、サンキューとグラッチェとありがとうの連発でした。ついでに、写真撮影の許可までとった。自分ながらちゃっかりしてる、なんて思いながら彼についていきました。彼は、ハム製造の工程順に案内してくれました。

豚肉の搬入から塩もみ、塩漬け、熟成を段階を追って案内してくれました。工場内は、ほとんどの作業が終わっていて人がほとんどいません。工場内は、建物が新しかった事もありますが、あらゆるところでオートメーション化され衛生に保たれていました。エレベーターには、搬送用のハンガーレールがついていて各行程の部屋へこのエレベーターで運んでいることがわかります。

ほとんどの壁がステンレスで衛生にかなりの気を使っているのがわかります。2つ目のエレベーターに乗ったときに案内をしてくれた方が白衣のポケットからダスターを取り出し不意に見つけた汚れた箇所を拭いている姿はまさしくこの工場の衛生概念と姿勢がしっかりしていることを確認しました。

パルマハムは、ほとんどの部分が豚の皮で覆われていますが1カ所だけ切断面があります。そこを2回に分けてラードで覆います。熟成の中間時と仕上げ数ヶ月前の2回です。この行程には、2カ所とも作業している人がいて、明るく陽気に僕を迎えてくれました。

案内をしてくれた人は、一生懸命イタリア語で説明してくれるのですが、その1/3も聞き取れず申し訳ない気持ちでした。最後にハムの前で写真をとってもらい念願だったパルマハム工場の見学がおわりました。最後に事務所に戻り、感激のあまりお礼を連発し握手をしてもらいました。そして、最後に「今日のこのことを東京に帰って多くの人たちに話をする。」こと約束してきました。連絡先とパンフレットを数部いただいてきました。ご興味のある方は、ご連絡ください。

FAX:03-5936-0286 mailto:kunihiro@goodham.com

清潔なきれいな工場のおいしいプロシュットです。

-ロマーニャエミリアを後にして-

興奮のなかパルマの旅は、終わりました。パルマハム工場からパルマ駅への帰り道チーズ工場を1件見つけて寄って行きました。

ここにも直売所があり中には、女性がいました。少しだけ話をして帰ってきました。彼女は、パルメジャーノレジャーノの作る苦労とそのおいしさを一生懸命話していました。3年ものより本当は4年ものがおいしい。日本には4年ものは、行っていない。と話していました。そうと聞いたら無性に食べたくなって少しだけ買ってパルマの山をあとにしました。

パルマの駅までの帰り道は、ほぼ1本道。1回だけ道に迷っただけで、無事に車を返し、電車でミラノに向かいました。明朝の飛行機でミュンヘンへ飛びます。ありがとう、パルマ。

そして、私を応援してくれたロマーニャエミーリアのみなさん。ありがとうございました。  

パルマからミラノ行きの2等席のなかで

◇みなさんからいただいたメール&FAX
・おめでとうございます。良かったですね。イタリア紀行楽しく読ませていただきました。私もイタリアへグルメ旅行したくなりました。 横浜市/藤原様
・とうとうパルマ・プロシュットとご対面できましたね。ほっとしました。 奈良県/中村様
・ヒヤヒヤしました。なんとイージーゴーイングなっ!なんて思っていましたが、スゴイパワーですね。 岩手県/篠様

-イタリアからドイツへ-

感激状態のままパルマから電車に乗りミラノへミラノに着いたのは、夜8時頃、地下鉄に乗り換え初日に泊まったホテルへ、実は、この1泊を忘れていてホテルを用意していませんでした。ミラノ着がこんなに遅くなるとは、思っていなかったのですが、初日のチェックアウトの時にふと気がついて予約を入れたので良かったです。ホテルの近所で軽い夕食を済ませ、ワインを1本買ってホテルに戻りました。パルマ生ハム工場でとった写真をインターネットで東京に送りました。

明朝は、ドイツ・ミュンヘンへ移動です。朝暗いうちからホテルを出てミラノ国際空港に向かいます。地下鉄とシャトルバスで1時間半位です。ミラノからミュンヘンへは、アルプスを越えるだけという印象の1時間半の空の旅です。数々の小さなハプニングを除けば無事にミュンヘンにつきました。

ちなみに数々の小さなハプニングは、

○ゲート番号がボーディングパス(航空券?)の印字とモニターのインフォメーションがちがっていた。−搭乗5分くらい前に確認して急いで移動して事なきすみました。

○ミュンヘンまでの国際線の飛行機が40人乗りのプロペラ機のプロペラをはずして代わりにジェットをつけたような小さい飛行機だった。−ちょっと驚いた、国際線なのに。

○その小さい飛行機に乗客がタラップ(脚立みたいに華奢なもの)を登って搭乗中の出来事。

1.乗る飛行機のタイアが1個壊れていて2人がかりで必死に修理していた。

−大丈夫?タラップを登っている乗客は、みんなその様子を凝視していて搭乗が進まない。
−修理のためか出発が1時間遅れたが、なにもアナウンスは、なかった。

2.飛行機前方では、コックピット(操縦席)の窓を開けてパイロットが窓のパッキンをはめていた。

−コックピットの窓開くの?&パイロットが今なおすの?ハッハッハ、what’s a FANTASTIC.

○ユーロ内の移動なので出国も入国も手続きナシ。小さい飛行機はアルプスのギリギリ上を飛んでいました。アルプスを見下ろすちょっとしたアルプス見物です。これはラッキーでした。

そして、

-ドイツ・ミュンヘンのお出迎え-

ミュンヘンへ無事に到着しバッグを受け取ってキャスターに取り付けて出ようとしたら、ドイツの私服警察3人に囲まれました。これが最後の小さなハプニングかな?

ミュンヘンへ無事につきバッグを受け取ってキャスターに取り付けて出ようとしたら、ドイツの私服警察3人に囲まれて、2,3質問を受けた。
 ドイツ警察「どこから来てどこへ行く?」
 わたし  「ミュンヘンに観光へ、ミラノから来た」
 ドイツ警察「パスポート見せろ。」
−−パスポート手渡した。
 (もちろん、私の日本の赤いパスポートです。)
 ドイツ警察「日本人か?」(どういうこと?)
 わたし  「yes」
 (君のもっているのは何処のパスポートだ。)
 ドイツ警察「いつ帰る?」
 わたし  「2日後の飛行機でミラノ経由で帰る。
       チケットもみますか?」
 ドイツ警察「見せろ」
−−バッグの中のチケットを探してると、その最中に、
 ドイツ警察「日本人か?」
 (どういうこと?2度目の質問)
 わたし  「yes」
 (何人に見えるの?そんなにあやしい。)
−−帰りのチケットを手渡そうとすると、
  パスポート返してきて、チケットも受け取らずに。
 ドイツ警察「行ってよし。」
 わたし  「ダンケ。」

と細かいハプニングが少々ありまして、無事、ミュンヘンのホテルに入りました。

-久しぶりのドイツ・ミュンヘン-

無事、ミュンヘンのホテルに入りました。まずは、広場の市で腹ごしらえに出かけました。

地下鉄の駅から外にあがると目の前にダルマイヤー(ミュンヘンきっての高級食品店、パリのフォションと並ぶ名店です。)中に入ってひととおり見させてもらって、相変わらずの商品のすばらしさと盛況はさすがです。出ると隣はナイフショップ、日本でも有名なブランド店があります。
やっぱり気になりちょっと覗いて、ヤスリ棒(肉屋さんがナイフと刀みたいな棒でシャキシャキやっているあれです。)を1本買いました。やっと目指す広場についてビールとレバーのフライシュケーゼとポテトサラダ&バイツェンビァでお腹をうめました。これぞドイツの味ですね。

広場の市は、テントのお店が毎日出ています。ここは、ミュンヘンに1度来た人なら足を運んでいると思います。肉屋さんは、ほとんどが自家製ソーセージ、ハムをつくっています。チーズ屋さんは、ヨーロッパ中のチーズを切り売りなどしています。チーズ屋さんは、ワインも一緒においているところが多いようです。

野菜屋さんは、一番軒数が多いでしょう、10月の下旬に入った今は、大きなオレンジ色カボチャがハローウインを待つように大きな顔です。
そのもう一方冬仕度にはいるためのにんにくと唐辛子が山積みになって売られています。春先の白アスパラ、秋のキノコと野菜屋さんの顔は、季節をしらせてくれます。ミュンヘンは、内陸なので魚屋さんは、2・3軒ほどです。その中でもドイツ1のチェーン店が元気です。その他にも花屋さん、紅茶屋さん、コーヒー屋さん、雑貨屋さんなどいろいろなお店がテントを連ねます。

夕方が近づきカフェは、ソーセージにビールを飲むお客さんで混んできました。お腹をビールとソーセージで満腹にしてホテルへ戻りました。

明日は、ああ早く起きて、卸市場とと場見学です。

 

 

今日は、ミュンヘンのと場と食品卸市場へ行く日。

ミュンヘンの肉屋さんの朝は早い、4時、5時から働いている。朝暗いうちから起きて、ホテルを出てタクシーに注意しながら駅に向かって歩いていると、1台のタクシーが来た、「ラッキー」。
地図で見る限り、泊まっているホテルの通りから1本道で距離にして3・4kmくらい、電車でもは、乗り換え乗り換え更に早朝で電車が少なく結構な時間がかかってしまうのでタクシーはラッキーだ。
屠場につくと、運転手さんは、この両側がそうだという、大きな豚用トラックや精肉用トラックが頻繁に出入りしている方へ道を渡った。車は出入り口が一方通行になっていた、入り口には、守衛さんが立って1台1台チェックしている。私は歩きなので手前の出口から入って行った。
 
さすがにドイツ・ミュンヘンのと場は広い、奥のほうまで歩いていって屠殺場の建物へ入っていった、想像以上に衛生的で作業もてきぱきと進んでいる、日本の作業方法とは、手順がかなり違う。
肉質も私好みのおいしそうなものが多い。さすが本場バイエルンミュンヘン。
ミュンヘンのソーセージの伝統は、職人さんたちの努力ももちろん、職人制度ももちろん、この生産段階から既に始まっているのが伺える。生産農家さんたちの努力のたまものであることは、間違いない。余談ですが、イタリア・パルマのハムも全く同じ事が言える、数々のハムの肉質の良さ、均一性がパルマハムの伝統を守っている。
などと考えていると声をかけられた、「何をしている」
私は、見物と応えたら、「写真は撮るな」とだけ言われて、その人は作業レーンに入って行った。
日本と同様いろいろな仲買さんたちが屠場併設の市場に入っている、少し覗いてみるとお店が冷蔵庫になっているところがいくつかある、冷蔵庫の中に冷蔵ケースを並べ徹底した温度管理をしている。各部位の肉が真空パックになって1パック単位で販売されている。昔に比べるとコンテナに入っての部位別流通が多くなっていると聞かされた。ちなみに日本も同様です。

 
大都会ミュンヘンでは、農家が豚をあげてきて肉屋(ソーセージ、ハム屋)さんが引き上げていくパターンは、ほとんど無いらしい。「地方に行けばまだある。」とのコメントもあった。
ということは、生産者別の肉の流通はほとんど無いと言うことです。
例えば私のように黒澤牧場さんの豚が欲しいといっても現状と同じように特別なルートを個別に造らないとならないとうことです。
 
別の市場を覗いてみた、ここには、ソーセージ、ハム、イタリア・フランスから輸入されたハム、チーズに、ワイン、パンに香辛料、ジュース、ナイフや肉屋の小道具まで売られている。この市場は、契約会員のみに販売されて部外者は、仕入れ購入ができませんでした。
ここで仕入れて行くのは肉屋さん、カフェなどである。自家製でソーセージを作っている肉屋さんも全品自家製ではなく品物によっては、この手のものを仕入れているところも最近では、増えているとのこと。大手メーカーから中小メーカーまでの商品がいろいろと陳列されていた。
隣の市場を覗くとここは、大手肉メーカーの販売所でした。全商品が統一されたブランドで埋め尽くされている。ここの商品人は、あまり興味を覚えませんでした。
今度は、道を渡って反対側の1軒を覗いてみた、ここは、肉屋さんハム屋さんなどの原料肉以外の雑貨類の仕入れどころです。長靴、白衣、ナイフ、台車から、洗剤、包装用の袋、肉を入れるトレー、ソーセージに使う道具なども売られていました。私もここで日本では、なかなか手に入らない小道具を買ってきました。市場の周りにも数々の卸店が自家製のソーセージ、ハムなどを販売しています。
ミュンヘンのと場、肉卸市場は朝早くから元気です。

 
ミュンヘンのと場をあとしにて食品卸市場へ向かいました。と場から地下鉄で1駅のところにあります。地下鉄の駅からあがると仕入れに来たトラックから小さいバン、野菜やフルーツを運んできた大きなトラック、トレーラーまでが忙しく往来しています。
 
 
 
そんな風景は、東京の太田市場を思い出させます。ミュンヘンの市場の中に入ると大きな建物がいくつかあります。まずは、左手前の新しい建物へ入ってみました。
この建物は、野菜をメインにした仲買さんが入っているようです。
 
[auction area]のサインもあります。ここで競りも行われているのでしょう。今では、朝の混乱も終わり各店あとかたづけや配達の準備です。
次は、反対側の少し古い建物に入ってみました。ここは、フルーツをメインに野菜も少々扱っている仲買さんたちです。スタンドカフェや店舗用雑貨のお店もあります。朝のピークを終えて一段落しているのがよくわかります。こちらでは、個人の方や、カフェなどをやっている方たちが乗用車やバンで仕入れにきている姿も見られます。
ミュンヘンに来てからとにかくトマトがおいしそうです。朱色にきれいにおいしいそうに熟れたとまとが町でも見かけられましたが、ここでもトマトが目を引きます。
 
 
 
その他には、キノコに葡萄にリンゴに、ニュージーランドなどからの輸入果物も見られらます。ヨーロッパのソーセージとビールの都、ミュンヘンの台所は、元気です。

 
-ミュンヘンの食肉価格-
 
ミュンヘン・デパート
ドイツのお肉屋さんは、ほとんどのお店でソーセージを作っています。ソーセージを販売していないお肉屋さんも見られます。また最近では、ソーセージを仕入れて販売しているソーセージ屋も増えているそうです。肉の仕入れ形態も日本の流通同様に変わってきているようです。
 
ドイツのソーセージがおいしいのは、職人さんの努力もさることながら、生産者の努力の貢献も大きいところです。小売店、スーパー、デパートを含む高級店と数件を見て歩きました。
価格は、日本の半額、もしくわそれ以下です。
ベーコン 15〜18DM/kg
腸詰スモーク 20〜22DM/kg
腸詰白 18〜19DM/kg
鶏むね肉 13DM/kg
豚ひれブロック 30DM/kg
豚ロースブロック 17DM/kg
豚バラブロック 10DM/kg
(これは、デパートの価格なので一般のお肉やさんは、もう少し安くなります。)
もちろん、小売り段階でのパッケージの大きさや流通の仕組みなどの違いも、価格に反映されていると思いますが、肉用豚の生産コストが低いことは、確かでしょう。
気候、風土そのたの諸条件が豚生産にあっているのでしょう。
ロマーナエミーリア地方も豚肉が安かった。ハムなどの加工品は割合高価な値段でしたが、生肉は、安かった。
 
-ミュンヘン最後の夜-1-
 
明日は、朝早く、空港へ向かいミラノ経由で東京へ帰ります。今日1日でヨーロッパでの散策もほぼ終わります。朝早くからと場と卸市場へでかけた後、荷物をおきにホテルへ戻りました。
ラッキーなことに朝食にぎりぎり間に合い、ソーセージとコーヒーで朝食をもらい、市場で買ったものを部屋において、外へ出ました。予定していた見学は、全て終了し、荷物を簡単にまとめ、この午後は、観光です。なんとなく市街へ出てうろちょろとしていました。
バイスビアを飲んでレバーケーゼを食べて、ヴァイスヴルストを食べてとミュンヘンのカフェを楽しみました。目の前では、からくり時計が動き出し、観光客は、みんな足を止めて見上げています。10分ほど動き続けるこのからくり時計には、ストーリーがあります。
 
 
2つの城が戦い、戦争のあとに仲直りすると言う話です。なんとも、ドイツでのこの話は考え深いものです。
夜には、観光地として有名なビアホール”ホフブロイハウス”へ出かけました。
ここは、バイエルンの王様のためにつくられたビール醸造所でした。ここで、四国・香川から研修旅行できている団体さんとチェコから来た旅行者とアメリカから仕事で来ていた方、ミュンヘン生まれの若き青年たちとこのヨーロッパ最後の楽しいビアホールの夜となりました。
チェコから来た旅行者4人は、大柄でがっちりした体つきですぐに腕相撲をやろうと言ってきます。
私の腕の2・3倍は、あるような太さの腕で私が勝てるわけありません。もちろん惨敗です。
いいように遊ばれていました。四国からの研修旅行組は、ビアホールの勢いに任せてみんな楽しそうでした。ミュンヘンの若き青年は、リーゼントに革ジャン決めて英語で通訳をしてくれます。
彼は、20歳、ミュンヘン生まれのミュンヘン育ち、弟がニューヨークに住んでいて毎年遊びに行くそうです。英語は、そこで覚えたと言っていました。彼の仕事は、ミュンヘンで農家さんのホローアップの仕事をしているとのことです。見かけに寄らず硬い仕事をしていました。

 
ミュンヘンの若き青年は、リーゼントに革ジャン決めて英語で通訳をしてくれます。彼は、20歳、ミュンヘン生まれのミュンヘン育ち、弟がニューヨークに住んでいて毎年遊びに行くそうです。英語は、そこで覚えたと言っていました。彼の仕事は、ミュンヘンで農家さんのホローアップの仕事をしているとのことです。
指導、肥料その他資材の提供などをやっているそうです。私は、ドイツの農協さんかなと思い聞いてみました。そうでは無いとのことです。名刺もくれました。
株式会社で、農業博士の社長が農家のためにやっている会社だと言っていました。
彼は、「オーガニック農業は、非常の大切だけど、大変コストもかかるし、むずかしい、挑戦して収入をへらしている農家さんもすくない。でも、これからは、ドイツには、オーガニックが必要だ。」と言っていた。
「でも、ここはシュタイナーの国だから、世界からみてもオーガニック農法が進んでいるほうじゃないのか?」と聞くと「それは、1部だけだ。」と小さい声で応えていた。さすが議論好きのドイツ人の彼は農法の次に、ソーセージをつくっている私を見て「GNP(リン酸塩)を減らしてくれ、ドイツには、ハンディキャップを持っている子供が多い、これは、GNPの影響も大きい。」と彼は、陽気なビアホールでまじめな顔になって私に言った。
わたしは、「私は、GNPは、使っていない。その他のケミカルもすべてフリーだ。」と言ったら大変不思議な顔をしていました。「君のソーセージはオーガニックか?」「オーガニックでは、ないが、化学薬品の使用はない。」と言ったら驚きながらも喜んでくれました。
彼がとてもいいボスのもてで仕事をしていることが彼との会話でよくわかります。彼のような人がもっともっと増えてくれることを私は、心から望んでいます。日本にも彼のように若い人で彼のような考えで農業に取り組んでいる人が増えてきています。
価格、近隣農家さんなどまだまだ、多くの壁は、大きくそのなかでも1歩1歩進んでいこうとしている農家さんが増えていることは私たちにとってうれしい限りです。

 
-ヨーロッパ1人旅を終えて-
 
今回のヨーロッパはきわめて衝撃的でした。
2年ほどまえより生ハムづくりをはじめ、去年の春やっと製品として仕上がりました。
急に15年前のパルマハムとの出会いが気になり、パルに行きたくなり見たくなりました。
15年前のイタリアではいろいろと見たのですがなにもわかりませんでした。ハムもチーズもビネガーもワインもオリーブオイルもただただおいしいおいしいと口に運ぶばかりでした。
今回、地図を片手に一人歩きをしてみて実感したのが、「はじめに気候風土有。」気候風土にあった農業が行われ、その農産物から気候風土にあった加工品、醸造品、発酵食品がむりなく生まれてきています。葡萄も豚肉も酪農もトマトも気候風土にあった農産物です。バルサミコ酢もパルメジャーノレジャーノも生ハムも気候風土にあった加工品です。そしてその気候風土と農法、製法をかたくなに守って今に続いているのです。川もきれいで、山もきれい、空もきれいでした。もちろん、一部では時間短縮のため、コストダウンのために製造効率を上げるための近代的技術が導入されています。ただ、自らの文化を自らの手で破壊していくような技術の導入はあまり見ませんでした。自然と生きる、地球と生きるということが大前提にあるように思われました。1999.9

「台北で食べたあの味この味」

私は、海外へでかけるとその土地の人たちが食べている物を一緒に食べられるのが楽しみです。言葉の通じないところが多いのですがなんとかなります。食堂や屋台、レストランなどのメニューは、大概の物が「○○を□□で◇◇してある。」と書いてあります。もちろんその○○が分からないとなにが出てくるのか全く検討もつかないのでイタリア、スペインなどでは、苦労します。台湾はいいです。中国語ですから全て漢字です。豚肉なのか牛肉なのか、魚なのか、貝なのかは、よくわかります。ただ豚肉は、「猪」と書いてあります。鶏肉は、「雛肉」と書かれています。牛肉は「牛肉」です。「排骨」は骨付きの豚ロース・バラ肉です。調理方法は、「炒」は油で炒めること、「爆」は、強火でさっといためること、「溜」はあんかけ、「炸」は揚げ物、「煎」は、煎り焼きなどです。ただ、「焼」は、焼くのではなく煮ることです。「紅焼」は、煮込むことです。中華街などで紅い焼き豚をごらんになったことがあると思いますが、あれは煮込んでいるのです。切り方も「絲」は千切り、「片」は薄切り、「丁」は、さいの目切りです。そして最後に「湯」とあればスープ、「飯」とあればご飯もの、「麺」とあれば麺類、「粥」があればお粥ですね。「餃」あれば餃子、「水」が付いていれば水餃子です。「包」は、まんじゅう。味つけで「醤」は、味噌味です。これも要注意ですね。例えば「肉包」は、そうです肉まんです。ただ「雛・炒・飯」の3文字があってその他に分からない文字が混ざっていてチャーハンをイメージして注文してもご飯に鶏肉を炒めたものがかかってきたりもします。でも、野菜が食べたくて肉が出てきたりということはないので、まァいいでしょう。
 

その点屋台はいいですよ、食材が生で並んでいてそれを指さして選んで1個とか2個とか指させばなんとかなる。スープに入れてもらいたければスープを指さして、炒めてもらいたければメニューにある「炒」を指させばだいたいなんとかなる。とにかく何を食べてもおいしい。スープには、コリアンダーの葉っぱがちぎって入っていて最初は、この臭いが無くてもおいしいのにと思っていたのですが、帰るころは、これがないと台湾のスープのような気がしなくてなにか物足りない感じでした。ほとんどの料理に香辛料、漢方薬っぽいものが味つけ香りつけで使われているので、この味が苦手と言う人も多いようですが食べているうちにおいしくなってきます。また、どのテーブルにも辛味噌のようなものが置いてあってこれを好みで加えながら食べるように味つけをしてあるようです。唐辛子の苦手な僕もだんだんとその辛味噌を加えるようになっていました。とにかく、おいしいものばかりでした。その中でも「排骨湯」おいしかったですね。豚肉のロースの部分を骨付きのままぶつ切りにして数種類の香辛料と煮込んでいるものです。茶色い壷をたくさん並べてぐつぐつと煮込んでいます。スジは、すっかりやわらかくなっていて肉もスープもおいしかったです。1人前50$NT(220円位)。

豚のひき肉を醤油味で煮込んだものを白いご飯にかけたもの、牛丼の豚ひき肉版というかんじのものです。これは、クセもなくどなたでもおいしく食べられると思います。1人前25$NT(110円くらい)つみれのスープ、小骨が少し混ざっていますが良く噛めばなんの問題もありません。コリアンダーの葉っぱをいれてもらっておいしかったですよ。1人前35$NT(150円くらい)。とにかく安くておいしい1人で夕食を食べたときは、牛肉の炒めご飯と雛鶏のつくねのスープと野菜の炒めもので1人前160$NT(700円くらい)かなりのボリュームでおいしいです。大食のぼくでも全部食べるのがやっとでした。「臭豆腐」というのがあって文字どうり臭い。このお店の近くに来るととにかくむせかえるような臭さです。お豆腐を発酵させたものを油で揚げて酢漬けの野菜をあんかけにして食べるのですがこれは参りましたね。口に入れているうちに飲み込めなくなるかと思うほどでしたが、辛味噌を少々つけて食べると食べられるんです。

おいしいんですよ。

旅をおいしくするのは、何事もトライですね。カキと芋餅のオムレツこれにピンク色のフルーツソースのようなこってりと甘いソースがかかっていて辛味噌を付けて食べるおいしいのですがとにかく甘すぎる。いわゆるレストランには、入らず屋台ばかりだったのですが安くておいしい食生活でした。士林というところに毎晩夜市がたちます。洋服、雑貨、茶器など道狭しと並んでいます。とにかく人の出るところでなにか商売してみようという台湾気質?

台湾パワーを感じます。銀行のキャッシュカード申し込みコーナーまであるんですから驚きです。

士林には、屋台村の様なところもありいろいろな物が食べられます。鉄板焼き屋さんがあって炒め物もステーキも揚げ物でさえも目の前の鉄板で作ってくれます。少しづつ食べてとにかく食べ歩きです。胃が疲れたりお腹いっぱいのときは、「苦茶」かなりにがい。胃薬より苦いが楽になる。楽になったら食べ歩き。ちなみに僕は、2杯飲んで食べ歩きの後もう1杯のんでかえりました。とにかく士林にかぎらずどの屋台に入っても、路店にはいってもおいしいのでなるべく安くて地元のお客さんのいっぱい入っているところで食べ歩いていました。どの料理も片栗粉でとろみを付けているのも台湾の特徴かもしれませんね。そうそう、豚の血を固めてきなこみたいのにつけて食べるのがあったのですが、ぼそぼそしていて今一でした。香港の路店のお粥やラーメンもおいしかったですが、また別の味ですね。どちらかというと台湾の方が日本の中華に似ているような気がします。「港式」と言って香港風のお店もありますが結構高いので入りませんでした。「台湾屋台万歳」です。幸いか当然かどの料理も火がよくとおっています。だから、安心して食べられます。

 

町には、マクドナルドがやたらと多く若い人たちや家族連れで賑わっていました。セブンイレブンやファミリーマートなどのコンビニにもきれいな冷蔵ケースに洋風のサンドウイッチやパン、ケーキなどがたくさん並んでいました。(有名コンビニではどこでもビールもお酒も売っています。台湾ビールが20$NT 90円くらいキリン一番しぼりが45$NT 200円くらい、台湾ビールがおいしいので僕はいつも台湾ビールです。屋台には、あまりビールなどお酒は置いていません。)10年前台北に住んでいた大城(私の先生的友人。)は、「最近は、屋台が減った。」と嘆いていました。徐々に減って来ているのでしょう。昔の東京を見ているような気が何度もしました。子どもの頃商店街で遊び回っていた頃を良く思い出しました。
 

台北の食文化にも近代化と西洋風のかぜが強く吹いていてなかに入る人たちは、古来の食文化の大切さには、盲目になっているような気がしてなりませんでした。現在、台湾には、O-157は無いでしょう。でも、いつか発生するときが来るような気がします。いい意味で不衛生が食中毒を増殖させていないでしょう。食中毒病原菌が少ないとはとても思えません。人間の内臓がそれなりの免疫と抵抗力をもっているのがよくわかります。肉屋さんにも魚やさんにももちろん八百屋さんにも冷蔵ケースはありません。保存用の小さい冷蔵庫が奥のほうにあるだけです。まな板に並べられて売られている肉。氷の中で売られている魚、地べたにならべて売られている野菜や果物。肉は、乾ききって大丈夫だろうかと思うほどですが地元の主婦達は、当たり前に買っていきます。そのようなお肉屋さんでの価格などは分かりませんがかなり安いことは間違いないでしょう。でも、行政の方向性も手伝って冷蔵ケースのお店、賞味期間の表示、衛生設備の指導が順次行われていくことでしょう。いい悪いは、別として少し寂しい気もします。


外人居住区付近の高級スーパーマーケットには、冷蔵ケースにトレーパックされた肉が陳列され、魚もケースに陳列されたいました。豚肉大国の台湾の高級スーパーマーケットの豚肉の価格は、ロース¥120/100g、バラ肉(三枚肉)¥110/100g、もも肉¥110/100gくらいでした。少し堅そうでしたがどの豚肉もきれいないい豚肉でした。とにかく豚肉は、安い。

若鶏肉(雛肉)は以外に高く、もも肉¥120/100g、骨付きもも肉¥110/100g、ささみ¥130/100gくらいと豚肉より高いくらいでした。牛肉も高価でした。日本の大手ハムメーカーは自社の豚肉処理工場を台湾に持つほどの豚肉大国でした。去年台湾の豚に、恐い伝染病が流行かなりの量を輸入していた日本では、それ以後いっさいの台湾からの輸入はなくなりました。現在では、韓国からの輸入が増えてきています。豚肉は、台湾の花形産業でしたので鶏肉、牛肉にくらべかなり安いのでしょう。それでも台湾国内の豚肉も随分減ったと聞いています。ただ、町中の屋台のメニューは、昔も今もかわらないようです。日本から見た豚肉大国は、日本から見たものなのかもしれません。台湾の豚肉事情に詳しい先生が高崎にいらっしゃいます。

今度、機会あればうかがってきたいと思います。

和牛の里、米沢へ

 和牛の生産者、佐藤さんを訪ねました。

和牛の里、米沢へ行って来ました。

「塩胡椒のみでミディアムレアの和牛の味が溢れるローストビーフを焼きたい。」と思っていた。

割烹料理屋さんのお弁当の試食会に参加させていただいた。1食3000円の贅沢弁当。お弁当なのにステーキがレアに焼かれていた。少々さめてもおいしいステーキは米沢牛。旨い肉を探すときは生産者を探せ。鉄則である。旨い和牛になかなか出会えなかった、ときだったので、この米沢牛との出会いがうれしかった。
日に日にあの米沢牛への思いが募ったときに、佐藤畜産さんをご紹介して頂きたいと決意を決めてた。
 丁度そのときに米沢へのお誘いが飛んできた。「昔のおいしいすき焼きを米沢で復活させる。角切りの米沢牛と葱のすき焼きを食べに行く人、この指とまれ。」という声に迷わず行きまーす。と指にとまった。

和牛の里、米沢へ

山形新幹線で少々居眠りをしてしまった。窓の外には電車よりも高く積もった山なのかを走っていた。「乗り過ごしたかな。」と慌ててしまうほどの雪だった。大丈夫。米沢着10分前。やがて雪の米沢に到着。寒い米沢は和牛の里であることがよくわかる。

和牛の里、米沢へ

その日の晩に昔のすきやきの復活劇が繰り広げられた。牛肉はもちろん佐藤畜産さんの米沢牛。旨い、食べきれないほどの牛肉をいただいた。間違いない。
この牛肉でローストビーフを焼こう。
翌日、深い雪のなか山奥の牛舎を訪ねた。丁寧に育てられている黒毛和牛。想像以上の肥育期間で肉の味をしっかりとだしている。大きな牛舎だが1頭1頭大切に育てられている。臭わない牛舎と人なつっこい牛がここの生産体制のすごさを物語る。

和牛の里、米沢へ

山ほどのリンゴを食べさせて牛肉の旨さのためには何も惜しまない。「旨い和牛はカタチが違う。」と言い切る佐藤畜産さんの米沢牛を分けていただきました。脂のうすいもも肉で肉の味がしっかりでたところで、ミディアムレアのローストビーフを焼きます。

サンドイッチ工場見学

東京葛西にあるタカラ食品さんサンドイッチ工場の見学会に参加させていただきました。

2005年に新設され、2009年にISO2200認証を所得した先進の工場です。

私達が製造している。ハムソーセージの加工品との大きな違いは、下処理された食材、加工調理された食材を冷やしてから、サンドイッチとして組み立てる、その品物を配送し、店頭に陳列されて、お客様が購入されてそのまま加熱調理することなく、召し上がるまでの時間、菌数が一定数以上増えないようにしなくてはならない、その為には、とにかく衛生的な食材の処理管理と衛生的で迅速な加工が要求されます。

過度な殺菌剤の使用や過度な消毒は、味を妨げることにつながりますので、良いシステムとそのシステムにのとった作業が要求されるのでしょう。

スライドを見ながらの会社の説明と工場の説明を伺い、毛髪、その他の落下などが無いように作られた指定のユニフォームに着替えて工場内の見学がはじまります。

ボールペンの持ち込みは特別に許されましたが、シャープペンの持ち込みは、不可。芯が折れて飛んで食品への混入を防ぎます。もちろん、ピアスを含め全てのアクセサリーも不可です。

母体が、「ブッツデリカテッセン」のハムソーセージの製造メーカーであり、ミートデリを得意とするこちらでは、千葉と東京の工場より調理済みの食材が届き、こちらの葛西工場では、組み立てパッキング、配送が主な仕事です。

髪の毛一つ落ちていない通路より工場内に向かいます。手の洗浄消毒を行わないと場内に入れない仕組みになっています。

80000パック/日の能力のある工場では、かなりのオートメーション化が進んでいるかと思いましたが、商品づくりのこだわりで機械化できない部分がかなりあるようです。例えば、とんかつサンドのソース付けは、1枚1枚全て手作業で行われていました。

サンドイッチの製造のラインでは、1ライン14・15人で行われていました。

まず最初に、これから作るサンドイッチの商品説明のシート、その次に動作を確認するために1組のみが流れて相互に動作確認をして、その後に連続して流れ始めます。

6枚のパンをきっちり並べて、マヨネーズやソースを塗る、次に卵やハムサラダを所定の位置に塗って、トマトやレタス、ハムなどが載せられ、具材が終了した物は、パンが載せられて終了後に全てのサンドイッチが重ねられ、カットされて、袋に投入されて、金属探知機と計量確認されて、ラベルが貼られて出来上がりです。

このように書いてしまうと簡単なように感じですが、商品の組み合わせを間違いない為、パッキングされるまでに菌を増殖させない為の工夫と努力があちらこちらでなされていました。

この工場では、5つのラインがあり、いわゆる三角サンドイッチの他、バケットのサンドイッチや四角いプチサンドイッチ、OEMのとんかつサンドなどもの凄い種類のサンドイッチが作られているとのことでした。

工場全体の構造は、もちろん、外部を含む搬入搬出のプラットホーム周りの「汚染区」と順「汚染区」「衛生区」が混ざらないように、異物、目に見ない菌までもが、流入しないつくりになっている。建物のハード面は、よく考えられて理想的でした。

更に、その構造を深く理解して、実施、実行することがとても大切なことです。

パートさんを含む全てのスタッフの方々が、きっちりとハウスルールを理解して、実施されていることには、とても、感心いたしました。

些細な一つ一つの積み重ねがこの大きな工場で作られる全てのサンドイッチになっていることがよくわかりました。

大変勉強になった工場見学でした。私達見学者を迎え入れてくださった。社長様、スタッフの方々、この見学会を企画してくださった方々へ深く深く感謝いたします。

わたしたち、ぐるめくにひろもこの工場に負けないような気持ちとシステムの実施によってより安全なよりおいしい食品をみなさまにお届けしていきたいと思います。

沖縄の食文化に浸る

 秋を感じるようになった10月10日の最終便で沖縄・那覇に入りました。

着ていた薄手のブレザーが、着ていられないほどの暑さ。ホントに暖かいんだ。と空港から街へ向かいました。国際通りというメインストリートのど真ん中のホテルに荷物をおろし、早速夜の那覇へと食事にでかけました。観光客がお土産屋さんを覗いたり、夕食後の散歩で夜11時近くだとういのに、賑わっている。数年前から那覇で暮らしている兄に地元の人たちが通うおいしい安いお店に案内してもらいました。

今回の目的は、「沖縄の豚肉文化を体験する。」だから、まずは、オリオンビール(沖縄のビール)を注文。

 

「豚肉文化が発展しているところは、どこもビールが旨い。」ドイツ、イギリス、台湾、沖縄、私の持論です。

沖縄の豚肉には、皮が付いている。日本にはめずらしく、「ゆはぎ」という処理方法である。沖縄には、独特の豚肉文化がある。昔、阿佐ヶ谷の沖縄料理屋さんのマスターにいろいろな沖縄の豚肉料理を教わったときは、とても強烈だった。特にスーチカ(塩漬け豚三枚肉)、とチイリチィは、凄かった。

 

ラフティー(豚肉の角煮のようなもの)、そうめんチャンプルーに、ジーマミー豆腐などなど、どれもこれもうなるほど旨い。そして、ホントに安い。驚くほど安い。

久しぶりにゆっくりと兄と話していたら2軒目を出たのが3時半。

 

翌朝、レンタカーを借りて、豚肉の流通現場を見に出かけた。肉屋さんが仕入れにいくような問屋街は、いまもう無くなっていました。ぼくたちが、見られる市場は、街中の公設市場だけになってしまったようです。

次は、食肉センター(と殺場)です。ここで、皮付きの豚肉が処理されるのです。日本のほとんどの施設と大きく異なる部分は、ここです。海の見えるハーブ園のレストランで昼食をとることにして、見学は午後にした。海の近くには、珍しく、おいしいお水でつくられているんだなとよく分かるお料理で満腹になり、食肉センターへ向かいました。

 

レストランの庭からの景色

太平洋側のそのうみは、遠くまで浅瀬の珊瑚礁がひろがり、遠くのあるラインにサワサワと白い泡の小さい波がたつところから向こう側が深くなるのがよく分かります。引き潮がはじまったお昼近くでは、その深さの差が海の色にあらわれとてもきれいでした。

 

想像以上に大きな食肉センターでは、午後の作業が始まっていました。

いろいろな都合により、現場のなかまでは、入れませんでしたが、要の「湯はぎ」の部分だけはしっかりと見せていただきました。ザッツ沖縄豚肉文化!です。

ドイツ、スペイン、イタリアなど現在でもほとんどのヨーロッパで行われている湯はぎ・皮付き豚処理方法は、日本では、ここ沖縄では健在です。

 

<兄に送った御礼のメールの一部>

沖縄の豚の処理や文化が独特で物流も想像以上に独特で、びっくりした。皮付きの豚が当たり前に処理されているということは、日本のなかでつづけることは、とても大変なこと、それを通している沖縄の豚肉業界は、その他の流通までを含む豚肉文化全てがオリジナルなんだなぁ。と帰りの飛行機のなかで深く実感しました。スゴイことだね。お見事です。

詳細まで書くと、難しい話になってしまうが、もも肉の形や分け方などは明らかに日本のほとんどのそれとは、違う。日本、ヨーロッパ、アメリカと豚肉の流通をみてきたが、初めて見た。

もしかしたら、台湾、中国でみたときには、沖縄と同じようなことをしていたのかもしれないが、気が付かなかった。

 

車を街に向けて走りながら、那覇で一番大きいお肉屋さんを覗いた。スーパー形式っぽくなっているお肉屋さんには、個人用?と思うような商品もたくさん並んでいた。

沖縄の一般的な豚肉をはじめ、沖縄県産の銘柄豚と有名なあぐーもあった。

売られている商品が微妙に違う。最初は、どういうことかよく分からなかった。

この後に、公設市場に出かけてお肉屋さんからいろいろな話を聞いて分かってきた。

国際通りから延びるアーケードの商店街のなかにある公設市場。肉、魚、野菜、乾物から調味料まで食材が所狭しと売られている。2階には、簡易な食堂も並んでいる。1階の魚屋さんで魚を買って2階で調理してもらうこともできるらしい。

公設市場のなかには、お肉屋さんが5・6軒ほどあった。ゆっくりと歩いているあちらこちらから声をかけられる。豚の頭から足先まで食べられるところは、しっかりと全部売っている。

お肉屋さんには、いわゆる対面ケースがあり、そのなかに肉が陳列されているが、驚くのは、そのケースの上だ。生肉がケースの上に裸で陳列されてる。半袖1枚でも暑い市場のなかで、この光景を日本で見るとは、びっくりした。

中国、台湾、香港では、お肉屋さんに冷蔵ケースが無いのが今でも一般的だ。大きなまな板の上に処理した肉が並べられ、そのまな板の上に並んだ肉からお客さんが選んで買っていく。冷蔵庫で冷やした肉よりもこの方がおいしいという習慣がある。

その考え方が、沖縄の市場のなかに残っている。

あまり見かけない切り方の豚肉のブロックの使い方などをきいていると、豚肉をおいしく残さずに食べる方法が当たり前にできている。

例えば、ウデ肉のブロック(肩三角の部分)が、あちらこちらで販売されている

。これは、多くの家庭で皮付きのかたまりのままボイルする。肉は、ラップに包んで冷蔵庫で保存され調理の度に使われる。肉をボイルした出汁は、スープになる。

ドイツの家庭でも似たような豚肉の使い方をする地方がある。長いあいだ、豚肉と共に暮らしてきた沖縄の豚肉文化は、やっぱり本物だった。

旨そうな皮付きの三枚肉を少しとあぐーの三枚肉を買って東京に送ってもらった。いろいろと遊んでみよう。

 

夜ご飯は、地元で人気のイタリアン居酒屋ナハマヤーに案内してもらった。

沖縄スタイルのイタリアン料理、どれもこれも、旨い。兄の友人も集まってくれて沖縄のいろいろな話をきかせてもらった。また、夜は深く深く続いた。

 

短い時間だったが、沖縄の豚肉文化にどっぷりと浸かってきた。濃い深い沖縄訪問でした。また、機会をつくって出かけたい。沖縄のみなさん、楽しい旅をありがとうございました。

訪ねた先のホームページです。

なずなを訪ねて

先日、大分県の大野郡野津町というところへ行ってきました。とんでもない農業をやっている人がいる。一緒に会いに行きませんか。と、誘われるままに行ってきました。なにがとんでもない?のか。雑草は生やしっぱなし。虫はほっとく。化学肥料はもちろん、農薬も使わない。おいしい立派な野菜を作っているというのです。

赤峰勝人さん。「ニンジンから宇宙へ」(なずな出版部ⅱ0974-32-7111)というご本もあり、ご存じの方もいらっしゃると思います。陽に灼けた眼孔の鋭い、しかし、屈託のない笑顔がすばらしい、いかにも自然人という方でした。挨拶もそこそこにお話しは始まりました。わたくしは夢中になって聞き入ってしまいました。「また、ひとつ自分が仕事を通して感じていたことを、それでいいんだぞ」と教えていただいているようで、嬉しさと感謝の気持ちをいっぱいもって聞かせていただきました。元素記号から始まったお百姓さんのお話しは、とどまるところを知らずに壮大な宇宙を描き出しました。

■すべてはひとつ・ひとつはすべて

海の水はなぜ塩辛いか?降った雨は土に吸い込まれて、やがて地下水となって、川に流れて大地の栄養分を海に連れていきます。肉食動物は草食動物を食べ、草食動物は草木を食べます。草木はつちから栄養をもらっています。動物の死骸や枯れた草木は昆虫や微生物が食べて分解されます。そして、土になります。土の中には、大地の栄養分が入っているのです。雨水は、土の中を通り抜けながら大地の栄養分を溶かし込んで海へと流れ込みます。この過程を地球の歴史の流れのなかで繰り返し繰り返ししてきたことで海の水は塩辛くなってきたのです。ですから、海の水には地球上すべての成分が含まれている。と、話は進みます。

海の水から採れる自然海塩にも地球上の成分が含まれているということだそうです。海の水には52種の元素が確認されています。人体は54種の元素でできていることが確認されています。それらを較べてみるととてもよく似ていることがわかります。人体に必要なミネラルは自然海塩にはほとんど含まれているということです。専売の食塩は化学的に純粋な塩化ナトリウムだけでしかありません。塩化ナトリウムだけでは人体が必要とするミネラルを得ることはできません。また、塩のとりすぎはよくないというのは、正確には塩化ナトリウムのとりすぎはよくないということになります。自然海塩でしたら、人体が欲しがるだけとっても心配ありません。人体は必要なだけを欲しがるのです。そうしてとられた塩から必要なミネラルを吸収するのです。

赤峰さんはおっしゃいます。

■「害虫」ではなく「神虫」さま

さて、そこからどう農業につながっていくか。農業は土が生命だそうです。よい土には作物が育つのに必要なものがすべて含まれているのだそうです。それが、どのようにして保たれているかに赤峰さんは気づき、実践していらっしゃいます。土に必要なものを補うために雑草や虫が寄ってくるのだそうです。ですから、そこで枯れた雑草や虫の死骸をそのまま鍬で土に入れてやるそうです。それらが、土になっていき畑で必要な成分が理想的な状態で揃ってしまうそうです。昔、土が大切だと気づき、化学的に必要なものを揃えてやっていたころは、何周期目かで、畑がだめになってしまったそうです。連作障害の話をよく聞きます。この近代農業では常識的な連作障害が、実は人工的な技による障害だったということに、赤峰さんはそのお仕事を通じてわかったとおっしゃいます。赤峰さんは、畑の虫を「害虫」とは呼びません。畑に必要なものを持ってきてくれる神さまのような虫ということで、「神虫」と呼ぶそうです。神虫は確かに野菜を食べます。しかし、よい土のなかでたくましく育った健康的な野菜にとっては、人間や他の動物が食べてしまってはよくないところ。簡単に言えば毒になるところを食べてくれるそうです。そして、死んで土にかえり、新しい作物のための土のミネラルを揃えてくれるそうです。まさに「神虫」ですね。

■おいしければよく噛む

赤峰さんのところの野菜や玄米を使ったお弁当をいただきました。それは、おいしいものでした。食べているときに、赤峰さんがみなさんいつもよりもよく噛んでるでしょう?と、おっしゃいました。ふと思えば確かによく噛んでいます。玄米やほんものの野菜は噛めば噛むほどおいしいそうです。噛んでも噛まなくてもいいものを、噛め、噛めと言われても噛めないよ。と、笑っていました。またまた、自然にしているとすべてがうまくいくことに出逢いました。

■アトピーは病気ではない

赤峰さんのところにアトピーの人が、相談に見えるそうです。はっきり言って自信はなかったけど、ほんものでない食べ物で人体がちゃんとできてないことが原因だと考えていたので、しばらく赤峰さんの農園にいていただいたそうです。もちろん薬は一切使いません。ほんものの食べ物と、ほんものの塩と、よい水だけの生活。それまでの薬等々のリバウンドで、それは気の毒な状態の皮膚になってしまったそうです。しかし、そのかさぶたのようなものの下で、それはきれいな皮膚ができあがっているのがわかったそうです。すべてのリバウンドが終わってからまったくの健康な、いやそれは美しい皮膚に生まれ変わりました。それ以降は、アトピーは無縁だったそうです。その過程でも、赤峰さんの出す食べ物はアレルギー反応がまったくなかったそうです。赤峰さんは、卵がいけない、肉がいけないというのではない。その育つ過程で入り込んでいる薬品が人体に反応しているんだということです。思えば長男の光陽が生まれたばかりのころ、アトピーだと言われました。乳製品・卵・畜産物はダメだといわれてこまりました。少し薬を使っていたのですが、直感的にその方がこわく感じて、わたしは妻と覚悟を決めて、薬を辞めてなんでも食べて栄養をつけて自然治癒力を高めるように努力しました。痒くなってしまったときは、よい水でふいてあげて薬を使いませんでした。妻はそれはそれは辛い毎日だった。今の痒みが止まるなら薬を使おうと何度思ったかわからない。そう言ってます。光陽は今ではアトピーとはほとんど無縁な生活を送っています。お陰様で、もう、4歳になる元気なわんぱくに育っています。赤峰さんのお話しを伺っていて、ふとわが家の闘いを思い出しました。そのときに、このことを赤峰さんにお話ししました。それはいちばんいい治し方だったと言われました。

■犬歯は肉を食べるためにある

君はなにをしている人?ということで、ハムをつくってます。という話になりました。いつもみなさんにご案内しているようなことをお話しして、たいへん興味を持っていただきました。一度、食べたい。と言っていただきました。帰ってからさっそく、黒澤牧場の豚肉と、ベーコンと腸詰めを送りました。赤峰さんからお手紙が来ました。「自分の意識の中で肉の革命がおきました」と、書いてありました。赤峰さんは、野菜、水、塩というお話しをします。菜食の考えの方と似ているのですが決定的な違いがあります。それは、ご自分の犬歯を指しながら「この歯があるうちは、人間も肉を食べなくてはいけないんだよ」と、最高の笑顔でおっしゃいました。ますます仕事は、生きていることは、自然と一体。

みなさんと一体なんだという思いを深めることになりました。

ありがとうございました。                1997

京都 なかひがし

数年ぶりの京都は、「なかひがし」のお食事会。

お世話になっている方からお誘いいただいてから、長い間楽しみにしていたこの日でした。偶然というか、この日の1週間ほど前に、日本料理のカウンターのお店の本を読み期待が益々ふくれあがりました。インターネットで「なかひがし」で検索するといろいろな方のブログがでてきます。数々の写真とともに感激と感動の思いがつづってありますが、読めば読むほどわからなくなり期待は膨らみます。

読みかけの「カウンターから日本が見える・伊藤洋一著」を新幹線のなかで読み上げながら京都にむかった。ホテルに荷物を下ろし、少々余裕のある時間をりようして京都の街並みを楽しみながら今晩の会場へ向かった。


私たち4人の席を残して満席。カウンターの中に広がる厨房は素朴で質素で、かっこいい。

真ん中の朱色の台が炭火のコンロ。

二つの蓋がご飯のお釜。その奥が炙り、焼き用のコンロ。

お隣に出てきた料理にご主人が説明を添えている。目も耳も大きくそちらに傾く。メンバーが揃い、今宵の宴がはじまる。

「想像を超えるわよ。」という言葉をどのように受け止めたかは、自分自身でもわからないが、その言葉は、その通りとなった。

 まず、よもぎの葉がしかれた器には、栗、ぎんなん、さんまのの燻製、きのこに地柿という秋を思わせるお皿から、いずれもうなってしまう。口にれて味をさがしそれぞれの素材の味がしっかりとしていて全体に調和がとれてる。ものすごい。

朱の椀は、白味噌の汁、次には、鰯のちまきと炙り落花生、鯉ののおつくりは、圧巻。

煮こごりに、シャーベットに、鯉の皮に、草花があしらわれている。醤油を添えてごちゃごちゃにかき混ぜて召し上がれとのこと。でも、ひとつひとつの味を楽しみたく、混ぜる前にそれぞれをちょっとづつ口にした。どれもこれも、しっかりした味わい。ほんの少し醤油を加えご主人の言うように混ぜて食べてみれば、なるほどとうなずく以外には、ない。青葉の小鉢、白焼き、ミョウガと見たことも聞いたこともないお皿に次々と感嘆し驚かされる。「どれもこれも塩味がない。」と思わせるほど素材の甘み、苦み、少々に渋みが主張していて調和がとれている。「どうやったら思いつくだろうか。」と思ってしまう。

黒い椀が運ばれて、「松茸のご飯です。蓋を開けないでください。」とご主人。

勝手に炊き込みご飯を想像していた私だが、蓋を開け広がる香りは、松茸の香り。

炊き込みご飯ではなく白いご飯。そっと一口食べてみると、ご飯の味といっしょに松茸がの風味が膨らむ。そしてしっかりした塩味が心地よく口に和む。

びっくりだ、まいった。

仕上げのご飯に香の物のがならび、気持ちを落ち着けながら今晩の器を思い起こしながらみんなで話が弾む。ゆっくりと味わいたいが手と口がぐんぐん動いてしまう。

デザートには、青ミカンのゼリーが青ミカンの皮にはいっている。バジルと豆腐のアイスクリームに果物が添えられていた。無粋な私は、このみかんの皮は、ゼリーをつくる時に皮を壊さないようにとるかな、どうやってこんなにきれいに皮を保存できるのかなどとつい考えてしまう。ほろ苦い青みかんのゼリーがいといろなものを休ませてくれて、最後にコーヒーがでる。不思議なコーヒーだった。多分、入れ立てではない。

今宵は、秋を一足先に満喫しました。

残念なことにそれぞれのお料理に風味や味を言葉では伝えられない。

全てが初体験であり、感動であり、驚きであった。私も食の職人のはしくれ、頭が下がると同時に感謝の気持ちが体中に充満しました。素晴らしい京都の一夜、ありがとうございます。200810.3

京都大原三千院

昨晩の食事の感動を思い起こしつつ、京都の朝、目が覚めた。

テレビでニュースと天気予報をみながら、今日の予定を漠然と考える。

木曜日の今日は工房は定休日、でも東京に帰れば、いろいろと用事はあるが、なにも今日mustではない。地方に出て時間があることは、滅多にない。

天気もいいようだし、久しぶりの京都を散歩でもしよう。身支度をしてホテルを後にした。駅前の案内図を眺めながら行き先を探した。

昨晩のなかひがしのご主人は、大原出身で大原の山を歩いて草花を摘んでくるそうです。食事の最中にでた私の思い出の三千院のはなしを思い起こし、バスの案内所で、大原までの所要時間などを伺い、大原行きのバスに乗り込みました。

慣れない街での観光は、バスをよく使います。街並みを眺めながら進める。今回のように路線バスだと町の人たちの生活にも触れることができる。気になるところがあれば合図をして次のバス停で降りる。海外でもよく手段です。

東本願寺を眺めながら、昔懐かしい「八起庵」さんの前を通り過ぎ、バスは、川端から山へと進んでいきます。大原のバスセンターからすぐに三千院の入り口が始まります。中学生の頃の修学旅行以来です。そのときに三千院の仏像さんの穏やかな表情にひかれたのを今でもよく覚えています。

狭い山道をあるきながらお土産屋さんを覗きながら当時、ここでお着け物をお土産に買ったことなどを振り返りながら、ゆっくりと歩を進めます。

ほどなく到着した三千院の御門は、私の記憶には、ありませんでした。

拝観料しはらい中へ入っていくといきなり、記憶がよみがえりました。

当時の私が仏像さんの表情のどこにひかれたのかな、などと思いながらお参りして記憶をたぐり寄せながらいい日に訪ねることができたことに感謝しつつ山をおりました。

帰りのバスを途中下車して三条から祇園をぬけて京都駅まで歩いて初秋の京都の散策を楽しみました。

2008.10